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 恐らく海軍のエースの中では最も訓練不足の状態で戦闘に参加した搭乗員であろう。川戸氏は多分、御健在。大正15年生まれで2015年現在89歳となられているはずである。丙飛12期といえば太平洋戦争中のパイロット大量育成の真っ最中のクラスだ。恐らく訓練は相当なやっつけだったと推定される。今日は、不満足な訓練を受けた上でいきなり実戦に投入されたにも関わらずエースとなった川戸上飛曹について書いてみよう。


日本海軍戦闘機隊のエースとは


概要
 体当たり3回、被撃墜2回、落下傘降下4回という希な記録を持つ勇者として著名である。
 大正15年京都府の農家に生まれ、昭和17年5月舞鶴海兵団に入り、丙12期予科練、28期飛練を経て、18年7月卒業、9月末輸送機で40数名の補充員とともにトラックへ送られ、零戦を受領して、10月10日ラバウルで激戦中の253空に赴任した。

 時に若干18歳になったばかりの1等飛行兵で、飛行時間も300時間を少し超えた程度にすぎず、幹部から「お前のような子供に戦争ができるだろうか」と笑われたが、たちまち向こうみずの敢闘精神を発揮してラバウル戦闘機隊に勇名を馳せた。最初の体当たりは、11月2日のラバウル迎撃戦で、B−25編隊と正面から撃ち合って発火した1機の下方に離脱をはかって衝突、落下傘降下着水して救助されたが、微傷も負わなかった。

 第2回目は11日の迎撃戦で、湾内の味方艦艇を攻撃中の敵艦爆を撃墜した直後に、後方から敵戦闘機に奇襲され、被弾炎上、高度150mから落下傘降下着水した救助されたが、火傷と左脚負傷で約1か月空戦を休んだ。ついで12月17日P−39と正面反航で撃ち合ってかわしきれず衝突、相手機の操縦士とともに落下傘降下着水して高速艇に救助されたが、負傷を介せず、翌日の空戦には出撃している。

 その後B−24の尾翼体当たりを計画、機会をねらっていたが、19年2月6日ラバウル上空で決行、落下傘降下に成功し6ヵ所に負傷したが、着水救助された。2月20日在ラバウルの戦闘機隊はほとんど全機トラックへ後退したが、川戸上等飛行兵は少数の僚機とともに残留、廃材を組み立てた零戦により、ゲリラ的な迎撃戦、グリーン島、アドミラルティの偵察、攻撃等に活躍、この間253空の解隊により、7月以降105航空基地隊付となった。

 20年3月9日夕方、川戸2飛曹は複座零戦(清水2飛曹同乗)に搭乗してB−25追撃に出たまま行方不明となり、戦死と認定されたが、実際は敵駆逐艦を発見、攻撃中に対空砲火で被弾、海中に突入、重傷を負って海岸にたどりつき、ジャングルで一人生活中、豪州軍捕虜となり、12月レイテ収容所から帰還した。総撃墜数18機。
(日本海軍戦闘機隊〈2〉エース列伝より一部転載)


 上記の体当たりの内、昭和19年2月6日のB-24への体当たりに関しては、岩本徹三の記録に「何中隊の何番機か、味方の一機は、あまり急角度で攻撃をかけたので、そのまま敵機の主翼にぶつかり、瞬時に空中分解してジャングルの中に散っていった。」(岩本徹三『零戦撃墜王』)との記載があり、日付が異なっているが梅本氏はこの「味方の一機」を川戸機と推測している(梅本弘『海軍零戦隊撃墜戦記』3)。



 それはそれとして、今回は何と、川戸上飛曹のインタビューがyoutubeに上がっているのを発見したのだ。早速、その超貴重な映像、観てみよう。





 略歴はエース列伝にある通りである。川戸上飛曹はいわゆる「川戸問題」で戦史ファンには有名だと思う。この「川戸問題」とは何かというと、アメリカ海兵隊の撃墜28機のエース、ボイントンを撃墜したのは川戸上飛曹か否かということで日米双方の関係者、研究者の間で大騒ぎとなった論争であった。


 細かいことは秦郁彦『第二次大戦航空史話』〈下〉に詳しいがここでは触れない。この川戸上飛曹、秦氏の本によるとアメリカではかなりネガティブな印象を持たれているようだ。因みに神立氏のブログでもこの問題と思われる問題に触れているが、どうも予科練の後輩の一人がネガティブな情報を広めたもののようだ(写真家・ノンフィクション作家「神立尚紀(こうだち・なおき)」のブログ)。


 因みに秦氏の本にある元零戦搭乗員が川戸上飛曹の悪口(?)を言っていたというのもその後輩の一人の仕業だという。この川戸上飛曹、誤解を受けやすい性格であるが、元ベテランパイロット曰く、腕は良く、男の中の男だそうだ。


 余談になるが、この川戸上飛曹が撃墜したとされるボイントンも『海兵隊コルセア空戦記』という自伝を上梓している。零戦隊と戦った側の記録として価値がある。ボイントン大佐は撃墜され日本軍の捕虜となるが、その時の日本人を「戦場から遠くなるほど攻撃的」というように観察している。


 川戸上飛曹は上記の通り捕虜となり戦後は無事に帰国することができた。戦後は太平洋無着陸横断を成し遂げる等、面白い人生である。川戸氏の自著としては『体当たり空戦記』(異常なプレミアが付いているから買っちゃダメ)、「零戦ラバウルに在り」『太平洋戦争ドキュメンタリー』〈第3巻〉炎の翼 (1968年)「私が経験した”真昼の決闘”」『伝承 零戦』〈第2巻〉等がある。総撃墜数は18機とエース列伝にはあるが、本人によると19機のようだ。



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