01_零戦22型
(画像はwikipediaより転載)

 

 今日紹介するのは加藤邦逵。大正12年生まれというから太平洋戦争開戦時には18歳と相当若いのだ。この加藤邦逵の面白いのは撃墜スコア16機という多撃墜者でありながらラバウル航空戦を経験していないことだろう。同期で撃墜王となったのは撃墜12機、または共同撃墜105機と言われる小高登貫、石井勇、服部一夫等がいるが多くはラバウル航空戦で撃墜数を伸ばした。

 

加藤邦逵の経歴

 

 加藤邦逵は、大正12年愛知県に生まれる。昭和18年1月に予科練丙飛10期を修了。大村空で延長教育を受ける。のちに多撃墜パイロットとなる加藤はこの大村空での射撃退会で30発中28発を標的に命中させるという離れ業をやってのける。同年5月に海南島の254空に配属され、数ヶ月後にはP-38を撃墜し初戦果を挙げる。

 この254空とはベトナムの東側、中国大陸の南に位置する海南島に展開し、海南島、香港の防衛及びシーレーン防御を目的として設置された部隊であった。最前線には違いはないが、ラバウル等に比べれば比較的余裕のある地域であっただろう。機体も加藤が異動した時点では使用機種は未だに零戦二一型であったようで重要度は比較的低かったのだろう。この254空でも昭和19年4〜5月頃には、五二型が順次配備されていった。

 加藤は、その後も迎撃戦において戦果を挙げ、昭和19年4月8日にはB25を1機撃墜、9日にはP38、B25各1機を撃墜する。昭和19年10月に210空に異動になるまでに合計9機を撃墜した。210空においても昭和20年2月16日には浜松上空において艦爆3機を撃墜、その後数次の沖縄特攻作戦掩護に参加した。総飛行時間882時間、撃墜数16機と言われている。

 加藤邦逵が多くのB25を撃墜戦法といわれているものが伝わっているが、それはB25に対し、正面から高度差1500mで接近、急降下しながら照準器を見ずに自機の翼を相手機の翼に合わせ射撃、高度差500mで引き起こすというものだ。

 

加藤邦逵関係の書籍

 

秦郁彦『ゼロ戦20番勝負』

ゼロ戦20番勝負
秦郁彦 著
PHP研究所 (1999/08)

 第12話「海南島上空の怪童」において加藤邦逵の254空での活躍について詳述されている。執筆者は著名な航空史家の伊沢保穂氏。まだ20歳そこそこの若者であったが天才的なセンスがあったようだ。

 

日本海軍戦闘機隊―付・エース列伝

伊沢 保穂 秦郁彦 著
酣燈社 改訂増補版 (1975)

 1975年初版の海軍のパイロット好きには必携の本。撃墜王、エースの一覧表、主要搭乗員の経歴、さらには航空隊史、航空戦史まで網羅している。2000年代に再販されているが、その際にエース列伝と航空隊史・航空戦史が分冊となってしまった。古くてもいいから1冊で読みたいという方にはこちらがおススメ。もちろん加藤邦逵についての項目もある。

 

久山忍『蒼空の航跡』

 元零戦搭乗員今泉利光氏へのインタビューを基に上梓された本。今泉氏は丙飛16期。昭和18年に訓練が始まり、昭和19年3月に修了したという戦争後半担当パイロット。254空で加藤邦逵と同時期に在籍していたパイロット。加藤邦逵についての記述はないが、この時期の254空の状態が良く分かる。

 

まとめ

 

 加藤邦逵は戦争中盤に訓練が修了した戦中派パイロットだった。同期の丙飛10期の搭乗員の多くは南方に送られ激戦の中で戦死していく。加藤邦逵は最前線ではあるが、比較的強度の低い地域に配属された。天性の勘の良さで多くの戦果を挙げ終戦まで戦い抜いた。