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 今日紹介するのは高塚寅一、操縦練習生出身の搭乗員で太平洋戦争開戦時には既に熟練搭乗員であった。生まれたのは大正3年と意外に若い。著名なエースである坂井三郎氏、岩本徹三氏、原田要氏などが大正5年生まれであることから考えると、太平洋戦争での著名なエースより若干若いだけだが操練22期ということから大先輩の古株搭乗員という印象が強い。


日本海軍戦闘機隊のエースとは


概要
大正3年静岡県に生まれ、昭和8年11月22期操練を卒業した老練操縦者で、支那事変では15年9月13日12空零戦隊の重慶攻撃に参加して3機を撃墜した。
16年10月飛曹長に進級して除隊したが、直ちに招集され、台南空に配属されて16年6月ラバウルに進出、地味ながら老練な空戦技術をもって戦果を重ねた。しかし9月13日ガダルカナル島上空の空戦で行方不明となり、戦死と認定された。総撃墜機数16機(公認)。
(日本海軍戦闘機隊〈2〉エース列伝より一部転載)


 太平洋戦争で活躍したクラスは操縦練習生では30期台40期台がベテランとして君臨していた。高塚氏はそのベテランクラスよりもはるかに上の22期だったので年齢が高かったような印象を受けるのだろうか。まあ、どうでもいいといえばどうでもいい話ではあるが。


 太平洋戦争では台南空に所属し、ラバウルに進出したが昭和18年の正月を迎えることは無かった。その間に記録されている撃墜数は16機とかなり多い。



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