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 大正5年生まれ、岩本、坂井等と同年兵である。海兵団入団後はすぐに搭乗員とはならなかったようで操練37期を修了した後、戦闘機搭乗員となった。日中戦争にも参加し、1940年9月13日の零戦初空戦にも参加した。そこで4機を撃墜したのが初陣である。その後、台南空に配属されラバウル航空戦を戦った。台南空は再編成のため本土に帰還し、再進出の際も台南空隊員として参加している。


日本海軍戦闘機隊のエースとは


概要
大正5年茨城県に生まれ、昭和8年機関兵として海軍に入団したが、のち整備へ異に転じ、12年7月37期操練を卒業して戦闘機操縦者となった。

15年7月横空から12空に転じ、9月13日の零戦隊の重慶空襲で、4機を撃墜したのが初陣であった。17年7月台南空に配属され、11月までニューギニア、ソロモン航空戦に参加したが、11月に本土へ引きあげ、翌年5月、251空のラバウル再進出でソロモンの戦場に復帰したが、6月16日ルッセル島上空の空戦で戦死した。総撃墜機数は17機(公認)。
(日本海軍戦闘機隊〈2〉エース列伝より一部転載)



1/32 エアークラフト No.17 1/32 三菱 零式艦上戦闘機 二一型 60317


 大木芳男の出身期である操練37期は5名の戦闘機専修者がおり、その内大木を含め4名が戦死している。大木と共に零戦初空戦に参加し、唯一太平洋戦争を戦い抜いた三上一禧も37期の出身である。余談ではあるが、この三上氏、戦後は岩手県陸前高田で教材販売会社を経営されていたようだ。


 2011年3月11日の東日本大震災で被災したが何と、2015年1月現在、御健在である。強運の持ち主である。それはそうと大木芳男、台南空時代には8機撃墜のエース、大野竹好中尉(海兵68期)と親しかったようで二人でウイスキーを飲みながら星座について語り合った様子が大野竹好の遺稿にある。1943年6月16日に大木芳男がルッセル島上空で戦死した際、大野はかなりのショックを受けたようだ。




1/32 エアークラフト No.18 1/32 三菱 零式艦上戦闘機 五二型 60318


 その大野もまた2週間後、レンドバ攻撃で戦死する。大野から見た大木芳男は「勇敢なること鬼神のごとく、温和なること菩薩のごとく、機敏なること隼のごとく、私のもっともよき話し相手であった」(大野竹好「碑銘よ白き積乱雲の峰をかざれ」『私はラバウルの撃墜王だった』)という。


 撃墜数はエース列伝では17機となっているが、ヘンリーサカイダ『日本海軍航空隊のエース』では18機となっている。



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