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紫電改01
(画像はwikipediaより転載)


 岩本、坂井等、著名な撃墜王の先輩にあたるエースである。操練26期を修了した。昭和11年11月、空母加賀乗組。この当時の加賀はすでに単層甲板に改装されたあとだった。その後、日中戦争が勃発。太平洋戦争では各飛行隊を転戦したのち、343空に配属される。そこで終戦を迎える。


日本海軍戦闘機隊のエースとは


概要
大正3年三重県生まれ。、昭和10年3月26期操練を卒業。昭和11年加賀乗組時に日中戦争で初撃墜を記録する。同年末霞ヶ浦空に帰り、龍驤、岩国空、元山空、大分空と異動する。昭和18年11月301空戦闘601飛行隊に転属、昭和19年6月硫黄島に進出する。7月戦闘701飛行隊に異動、T部隊の一員として台湾沖航空戦、レイテ航空戦に参加する。本土帰還後は、343空所属で終戦を迎える。



 太平洋戦争を生き抜いたが、戦後は手記等の発表はほとんどしていないことからあまり知られていない搭乗員であるが、日中戦争で初陣を飾ったのち、太平洋戦争では龍驤乗組となる。龍驤は小型空母のため発着艦には相当の技量が求められる。熟練搭乗員である松場が選ばれたのは当然といえるかもしれない。


 その後、岩国空、元山空、大分空と異動する。正確には分からないが、恐らく岩国空と大分空は教員配置であろう。昭和18年11月に301空に転属するが、この301空は飛行隊長が藤田怡与蔵大尉で、新鋭機の雷電を運用する予定の部隊であった。


 昭和19年3月、301空は戦闘316飛行隊、戦闘601飛行隊に分けられる。松場は戦闘601飛行隊に配属される。隊長は以前同様藤田怡与蔵大尉である。「あ」号作戦の発令により、戦闘316飛行隊は先行して硫黄島に進出。戦闘601飛行隊も硫黄島に進出を命ぜられるが、雷電には性能に不安があるため、機種を零戦に切り替え6月には硫黄島に進出する。


 7月3〜4日には、米機動部隊艦上機の来襲に対して迎撃戦闘を行う。松場はここでF6F、6機を撃墜したという。この数次の空戦と艦砲射撃で航空機を全て失った301空残存搭乗員は輸送機により本土に帰還。7月に301空は解隊、戦闘316飛行隊は252空に編入されたが、戦闘601飛行隊は解隊した。


 昭和19年7月、松場は解隊した戦闘601飛行隊より戦闘701飛行隊に異動になる。ここで台湾沖航空戦、比島航空戦に参加することになる。本土帰還後は、343空に所属、鴛渕孝大尉の下、戦闘701飛行隊隊員として紫電改を駆って本土防空戦に活躍する。


 その後、343空隊員として終戦を迎えるが、前述のように、戦後は雑誌への寄稿等はほとんど行わなかった。『海軍戦闘機隊史』に寄稿したのが恐らく唯一の寄稿である。


 因みに、松場が修了した操練26期には、福井義男(9機撃墜)、佐藤仁志(8機撃墜)等がいる。中瀬正幸(18機撃墜)、羽切松雄(13機撃墜)、東山一郎(9機撃墜)と共に敵飛行場に強行着陸した大石英男も操練26期であった。

2015年1月25日初稿。
2019年7月4日加筆修正。


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