零戦V-173
(画像はwikipediaより転載)

 

 中瀬正幸は1918年生まれ、乙飛5期予科練を修了したのち戦闘機搭乗員となった。乙飛5期とは太平洋戦争で中堅、ベテランとして活躍するクラスであるが、中瀬が活躍したのは主に日中戦争である。総撃墜数は18機で敵飛行場に強行着陸をして指揮所を焼き払う等、すごいエピソードを持っている。

 

中瀬正幸の経歴

 

 1918年徳島県生まれ。昭和9年第5期予科練入隊。1938年3月佐伯空で延長教育。9月大村空入隊。同年末12空(または14空)に配属。横空勤務。零戦隊初出撃の隊員に選抜される。1940年7月12空に配属。1941年9月3空隊員で開戦を迎えた。開戦後は蘭印航空撃滅戦に参加。1942年2月9日地上銃撃中に被弾戦死する。

 予科練時代の中瀬は成績優秀で、戦後『修羅の翼』を上梓する角田和男の班首席だった。予科練では中瀬達の班は女宛てに手紙を書くのが禁止されていたが、中瀬はどうも交際中と思われる女性に手紙を書いていたというエピソードもある。それはともかく、同期には角田和男(13機撃墜)以外にも、山下佐平(13機撃墜)、吉野俐(15機撃墜)、杉尾茂雄(20機撃墜)がいた。この乙飛5期、戦闘機専修者17名中太平洋戦争終戦時の生存者4名という凄まじい死亡率であった。中瀬は上記の4名と共に大村航空隊に配属される。

 秦郁彦『日本海軍戦闘機隊』では、その後、14空に配属されたとなっているが、角田和男『零戦特攻』では吉野俐と共に12空に配属されたとなっている。その後教員配置となり、1940年7月、横山大尉指揮下にて零戦と共に中国戦線に戻る。10月4日には東山空曹長以下4名で敵飛行場に強行着陸しマッチで火をつけて回るという攻撃を敢行した。この敵飛行場強行着陸は、新聞記事にもなり評判になったが、戦後、海兵71期の湯野川氏により批判されている。

 太平洋戦争開戦時には3空に所属し比島、蘭印航空撃滅戦に参加する。3空は、1941年4月に編成された部隊で9月には戦闘機隊に改編される。中瀬が配属されたのはこの戦闘機隊に改編された時である。飛行隊長は零戦初出撃時の隊長横山保大尉であった。中瀬は3空隊員として比島航空撃滅戦に参加、ダバオ、マカッサルと進出するが、1942年2月9日、マカッサルで地上銃撃中に戦死する。戦死後二階級特進。太平洋戦争開戦からわずか2ヶ月であった。

 

中瀬正幸関連書籍

 

角田和男『修羅の翼』

角田和男 著
光人社NF文庫 2008/9/1

本書『修羅の翼』は、中瀬正幸と同期であった角田和男による本。直接面識がある上にゴーストライターも使わずに自身が執筆したという貴重な本。中瀬正幸も前半に登場する。