不定期更新です。 更新は気分次第でーす(^_-)

 撃墜19機のエースで活躍したのは半年足らずであった。乙飛9期出身であり、日中戦争は経験していない。太平洋戦争開戦時には弱冠20歳であった。


日本海軍戦闘機隊のエースとは


概要
 大正11年愛媛県に生まれる。昭和16年10月乙9期飛練を卒業して、昭和17年2月台南空に配属。4月に台南空の一員としてラバウルに進出する。ラバウルで連日の戦闘に参加、昭和17年9月13日のガダルカナル島攻撃で行方不明となる。


 羽藤は当初は千歳航空隊、第四航空隊、その後台南航空隊に配属された。予科練出身、終了後、千歳空、第四航空隊、台南航空隊という道は、奇しくもトップエース西沢広義と同じコースである。初戦果は台南空であったようだ。配属された1942年2月には未だ台南空は笹井醇一、坂井三郎が健在であり、トップエースで予科練の先輩西沢、太田敏夫等、名だたるエースが在籍していた。


 4月に初戦果を記録、その後も多くの空戦で戦果を重ねる。8月7日に米軍ガダルカナル島上陸、同日の空戦で坂井一飛曹は負傷して本土に送還される。さらに同月26日には笹井醇一中尉が戦死した。そして9月13日に羽藤は戦死する。戦死の状況はwikipediaにやたら詳しく書いてある。総撃墜数19機と言われている。

2015年1月21日初稿。
2019年7月15日加筆修正。


↑良かったらクリックして下さい。