零戦11型

(画像はwikipediaより転載)

 

 石井静夫は、福岡県出身で昭和16年4月〜昭和18年10月までと2年半の間、台南空、隼鷹戦闘機隊等で活躍、日中戦争で3機、太平洋戦争で26機撃墜した搭乗員である。操練50期だと大体初陣は太平洋戦争なのであるが、この石井静夫は中国戦線が初陣である。太平洋戦争開戦前までに3機を撃墜したというのだから運と才能に恵まれていたのだろう。

 

石井静夫の経歴

 

 大正9年、福島県に生まれる。昭和12年海軍に入隊。昭和15年6月50期操練を卒業。昭和16年4月12空に配属され、中国戦線に出動。昭和16年10月台南空に異動。台南空隊員として太平洋戦争開戦を迎える。初期の蘭印航空撃滅戦に活躍。昭和17年4月内地帰還。大村空で教員。昭和17年9月隼鷹乗組。昭和18年9月204空に異動。10月24日戦死。

 エース関係の記事にはよく、「公認撃墜数」なるものが登場する。「公認」というと、あたかも日本海軍が個人撃墜をスコアとして認めていたニュアンスがあるが、日本海軍は空戦は集団戦という価値観から、諸外国のように個人の撃墜数を評価の対象にはしていなかった。故に日本海軍が5機以上撃墜するとエースとして扱ったり、それを公認したりしたことはない。この「公認」という言葉は、恐らく秦郁彦『日本海軍戦闘機隊』が広めたものだろうが、この「公認」というのは、戦闘行動調書などの公文書に記載されている撃墜数を指している。諸外国のように5機以上撃墜者に対してエースという称号を贈ったりしてはいないということに注意する必要がある。

 因みに公文書とは主に『飛行機隊戦闘行動調書』のことで当初は個人撃墜戦果も記載していた。のちにチームワークを重視するという観点から個人撃墜数は記載されないようになったという。ただ全部隊が以後、個人撃墜数を全く記載しなくなったのかというとそれも違うようで部隊によっては記載されていたりもする。

 石井静夫は中国戦線で活躍したのち、太平洋戦争では台南航空隊に所属してフィリピン、蘭印航空撃滅戦に参加している。その後、本隊がラバウルに進出する際、新郷英城大尉以下一部搭乗員と共に本土に帰還している。大村航空隊で教員配置の後、母艦乗組を命ぜられる。この頃、空母部隊はミッドウェー海戦で主力空母赤城、加賀、飛龍、蒼龍を一挙に失い、残存空母を以て再編成を行った。

 第一航空戦隊は翔鶴、瑞鶴、第二航空戦隊は隼鷹、飛鷹、龍驤である。石井は、昭和17年9月第二航空戦隊所属隼鷹乗組となり、激闘の南東方面ラバウルに進出した。昭和18年9月、ラバウルに展開する204空に異動した。当時、251空と改称された古巣の台南航空隊が再編成ののち再びラバウルに進出していたが9月に夜戦隊に改編になった。

 夜戦隊に改編されたことにより零戦隊の搭乗員達は同じくラバウルに展開する201空、253空に転属していった。石井が204空に着任した昭和18年9月時点では西沢等、台南空の生き残り搭乗員達がまだラバウルにおり、石井にとって懐かしい顔ぶれが揃っていた。その後、10月24日ラバウル上空の迎撃戦で戦死する。総撃墜数は29機、中国戦線、母艦搭乗員を経験した貴重な搭乗員であった。

 

石井静夫関連書籍

 

郡義武『台南空戦闘日誌』

郡 義武 著
潮書房光人新社 (2013/11/1)

 台南空の大ファンの著者が日米の資料を調べて書いたもの。梅本弘氏の著作ほどの精密さはないが、なかなか再現することが難しい戦闘記録を再現している。著者が台南空の大ファンであることから若干台南空の戦果を評価する傾向がある。梅本弘『ガ島航空戦』も併せて読むとより理解が深まる。石井静夫氏が在隊した当時の台南空の記録。坂井三郎氏の著作にも登場するが、エピソード等は多くない。

 

第204海軍航空隊編『ラバウル空戦記』

第204海軍航空隊 (編集)
朝日ソノラマ (1987/03)

 ラバウル航空戦初期に投入され終盤まで戦い続けたラバウル航空隊屈指の部隊「204空」生存者が編纂した戦記。本書が編集された時点ではまだ多くの生存者がおり、記憶も鮮明だったこともあり、内容はかなり詳しく書かれている。石井静夫上飛曹が少しだけ登場する。

 

日本海軍戦闘機隊―付・エース列伝

伊沢 保穂 秦郁彦 著
酣燈社 改訂増補版 (1975)

 1975年初版の海軍のパイロット好きには必携の本。撃墜王、エースの一覧表、主要搭乗員の経歴、さらには航空隊史、航空戦史まで網羅している。2000年代に再販されているが、その際にエース列伝と航空隊史・航空戦史が分冊となってしまった。古くてもいいから1冊で読みたいという方にはこちらがおススメ。

 

ヘンリーサカイダ『日本海軍航空隊のエース1937‐1945』

 これも定番。ヘンリーサカイダは米国の戦史研究者。初版が1999年なので『日本海軍戦闘機隊』よりは新しい。同様にエース一覧表があるが、『日本海軍戦闘機隊』のものより精緻で、今まで知られていなかったエースの名前も見える。当時の搭乗員に直接インタビューもしてたり、独自取材もしている。大原亮治飛曹長のことを「ラバウルの殺し屋」と書いて抗議されたのも本書だったはず。航空機のカラー絵も多い。

 石井静夫飛曹長に関しては戦争中盤で戦死されているのであまり他のパイロットの手記等にも言及されない謎が多いパイロットである。新しい情報が入ったら更新して内容に反映させたい。