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300px-Mitsubishi_A7M2 烈風200機あらば、戦局の挽回が可能!という夢のようなことを言ったテストパイロットがいたという伝説の戦闘機烈風。今日はこの銀河烈風隊の戦闘機、17試艦戦烈風を特集してみた。200機生産されていたら実際の戦局は変わったの?というような疑問についても答えていきたいと思う。答え、実際の戦局には大した影響はないです。ということで今日も行ってみよう。(画像はwikipediaより転載)

性能
烈風一一型
機体略号 A7M2
全幅 14.0m
全長 11.040m
全高 4.23m
主翼面積 30.86m2
自重 3,267kg
正規全備重量 4,719kg
発動機 『ハ四三』一一型(離昇2,200馬力)
最高速度 624.1km/h(高度5,760m)
上昇力 6,000mまで5分58秒
航続距離 全力30分+1,960km(増槽あり)
武装 翼内九九式20mm二号機銃四型4挺(携行弾数各200発)
爆装 30kg又は60kg爆弾2発
(wikipediaより転載)

概要
烈風(れっぷう)は、日本海軍が零式艦上戦闘機(以下、零戦)の後継として試作した艦上戦闘機(のち局地戦闘機)。設計生産は三菱航空機。略符号はA7M。連合国のコードネームは「Sam」。1943年8月以前の試作名は「十七試艦上戦闘機」。試作のみで未完成のまま終戦を迎えた。開発主務者は零戦や雷電と同じ堀越二郎である。大型ながら全体を流線型で纏めた機体形状に零戦の影響が感じ取れるものの、それまでの戦闘機と比較して機体が大型であり、運動性を重視した設計であった。開発の遅れから実戦には間に合わなかった。
(wikipediaより一部転載)
 さらに詳しい情報を知りたい方はこちら(wikipedia)


 零式艦上戦闘機の設計者である堀越二郎の設計ということと先の「烈風200機あらば・・・」という言葉で一部のファンの間で伝説になっている戦闘機、それがこの烈風である。この機体は零戦よりも大型であり、機体設計は良かったようだ。しかしこの時代の日本の航空機全般に言えることであるが、エンジンの性能が悪かったのだ。出力も出ないし安定性も悪い。たまに傑作エンジンが出るとそれに合わせて機体を設計するような状況になってしまう。


 んで、この烈風のデカい機体を動かせる発動機となると・・・。やはり烈風も発動機で揉めに揉めた。当初は誉という紫電改に搭載されているエンジンを使用していたが予定通りの性能は発揮されず、結局、ハ四三エンジンを採用したところ目論見通りの性能が発揮されたという。しかし遅すぎた感は否めない。ということで動画を観てみよう。













 結局、8機が完成したようである。因みに上記の烈風200機あらばという話であるが、烈風が高性能といっても当時のアメリカの戦闘機には陸軍にP51マスタング、F8Fベアキャットがもう実戦配備されていた(ベアキャットは輸送中)。これらの戦闘機のスペックは烈風を上回っていた。さらに生産できたとしてももうその性能を充分に発揮できるベテランパイロットはごく少数になってしまっていた。当時、世界最高水準の戦闘機、紫電改も400機製造されたが戦局を挽回することは出来なかった。それはそうとこの烈風、製造ラインを再開させる方法があるのだ。そう下記のリンクをクリックしあなたの部屋にある自社工場で完成させよう。



1/48 烈風一一型



商品の説明
零戦の後継機として開発された試製烈風は、発動機の出力不足から満足な結果が得られず、昭和19年夏には開発中止が危ぶまれます。ここで三菱は開発当初より主張した自社製発動機への換装を決断。2ヶ月後に飛行試験を実施すると大幅な性能向上が確認され量産化への望みをつなげました。ところが戦局の悪化によりこれら試験機の充実もかなわず、度重なる空襲によって量産体制にもほど遠く、本機は「幻の戦闘機」として終戦を迎えました。完成品全長249mm、全幅291mm部品点数約84点。コックピットに座る操縦者のフィギュア付。
(amazonより転載)

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