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250px-AkagiDeckApril42 真打登場というところだろうか。太平洋戦争開戦時の南雲機動部隊旗艦、赤城を今日はみてみたい。日本海軍の命名規則については知っている方も多いと思うが、戦艦が旧国名、空母は特殊名(祥瑞とか)、重巡洋艦が山名、軽巡洋艦が河川名等々、細かく規定されている。空母は前述のように特殊名が付けられる。翔鶴、瑞鶴、蒼龍、飛龍、飛鷹、隼鷹等々。しかし赤城は山名な訳だ。何故このようなことになったのかというと赤城の建造に問題があるのだ。(画像はwikipediaより転載)

性能
建造者 呉海軍工廠
運用者 大日本帝国海軍
起工 1920年12月6日
進水 1925年4月22日
竣工 1927年3月25日
その後 1942年6月5日雷撃処分
除籍 1942年9月25日
主要諸元
艦種 航空母艦
艦級 天城型
排水量 基準:36,500t 公試:41,300t
全長 艦体:260.67m
水線長:250.36m
全幅 31.32m
機関 133,000hp
速力 最大30.2ノット
巡航16ノット
航続距離 8,200浬
乗員 1,630名[1]
兵装 20cm砲 6基6門
12cm連装高角砲 6基12門
25mm連装機銃 14基28門
艦載機 常用66機、補用25機
1941年12月常用機
零式艦上戦闘機:18機
九九式艦上爆撃機18機
九七式艦上攻撃機:27機
飛行甲板 249.17m×30.5m
着艦識別文字: ア
(wikipediaより転載)

概要
 赤城(あかぎ)は、かつて大日本帝国海軍(以下日本海軍)に所属した航空母艦である。同型艦は「天城」(未成)。太平洋戦争初期の重要な海戦において、機動部隊の旗艦として活躍したが、1942年6月、ミッドウェー海戦で沈没した。1930年代後半にドイツへ本艦の技術と設計図が譲渡され、交換として大和型戦艦建造用の工作機械が導入された。
(wikipediaより一部転載)
 さらに詳しい情報を知りたい方はこちら(wikipedia)


 赤城は当初から空母として建造された艦ではない。当初は巡洋戦艦赤城として建造されていたが、1922年のワシントン軍縮条約で主力艦艇の保有数が決められたため、当時補助艦艇だった空母に変更されたのだ。つまり巡洋艦の名称を持つ空母の完成だ。同じことは戦艦として起工し、空母に改装された加賀にも言える。この赤城、当初は三段空母空母という形式だったが、不都合の方が多く、通常の一段に改装された。さらに煙突を一つにしたり艦橋が無かったものを取り付けて、また反対側に移したりという無駄に改装されている艦でもある。因みに当初の赤城には主砲が搭載されていた。


 この赤城、太平洋戦争開戦当初には加賀と共に第一航空戦隊を編成し、さらに第二航空戦隊、第五航空戦隊と共に第一航空艦隊を編成し真珠湾攻撃からコロンボ空襲、ラバウル攻略、ミッドウェー海戦等に参加する。この航空戦隊と航空艦隊って何が違うの?って思うだろうからここで違いを説明。航空戦隊とは空母2隻以上で編成される艦隊の単位であり、これが複数集まると艦隊が編成される。そう、航空艦隊とは複数の航空戦隊の集まりなのである。







 開戦から半年間無敵を誇った南雲機動部隊、結構知られていないことだが、インドまで行っている。そう、天竺まで行った艦隊なのだ。まあ、行って攻撃してきたんだけどね。インド洋東の島、セイロン島コロンボ基地を空襲したのだ。生涯216機撃墜を自称する撃墜王岩本徹三もこのコロンボ空襲に第五航空戦隊瑞鶴戦闘機隊の一員として参加している。圧勝であったが、ソードフィッシュ雷撃機がまさかの布張りであったため撃墜するのに苦労したようだ(ソードフィッシュは何と戦後も使用された)。













 上記の動画で赤城の基本構造、特色が分ったと思う。煙突が下に向いているんだよね。基本的には煙は上に昇るものなのでこの下向きの煙突、あまり効率よくなかったようだ。それはそうと、赤城は何度もよく分らない改修を施したことにより人殺し長屋と呼ばれる程、居住環境が悪かったようだ。さらに艦内も迷路のようになっていたという。そう、迷路なのだ。赤城の艦内も迷路、人生も迷路。下記のリンクをクリックして赤城を製作することによってそういう哲学的命題も解決することができるのだ。



1/700 特EASYシリーズNo.3 日本海軍航空母艦 赤城

商品の説明
 新たに特EASYシリーズがスタート。特シリーズをベースに、塗装不要とする為に新規の成形色(呉、佐世保、横須賀、舞鶴)を開発。その他の色分け部分も特別シールを作成し"未塗装で気軽に組めるキット "を開発しました!
(amazonより転載)


 この赤城、ミッドウェー海戦で沈むのであるが、アメリカ軍に撃沈された訳ではない。大破炎上して洋上に放置プレイされ、結局、撃沈命令が出たので日本の駆逐艦によって処分された。そのため、乗員は結構助かっている。艦長青木泰二郎大佐は艦と運命を共にしなかったことで上層部の不興を買ったようだ。その後、予備役に編入され、その後招集されて閑職にまわされた。恐らく予備役編入、即日招集されたのだろう。これは日本海軍がよくやる懲罰人事だったからだ。それにしてもこの艦長の決断によって多くの乗員が助かったということた確かである。



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