佐藤優 著
岩波書店 (2009/4/16)

 

 本書は元外務省主任分析官で現在作家の佐藤優氏が東京拘置所にて拘留された512日間の日記を編集したものである。全体の内容としては拘置された当初から出所まで時系列に記述され、拘置所内の細かな仕組みや制度、拘置所内での読書、思考等が詳細に記述され、途中、弁護士、外務省の後輩、友人に宛てた手紙等を織り込む。現在、八面六臂の活躍をしている佐藤優氏の内面を知る上での好著である。

 特に興味深いのは、佐藤氏が拘置所の生活を修道士の生活になぞらえていることだろう。佐藤氏は別の本で自分にはキリスト教、国家、マルクスが絶対であると書いているが(佐藤優『国家と神とマルクス』角川文庫2008年)、第一回目の日記で自身を修道士になぞらえていることや入所初期の早い段階でまずキリスト教神学の本をひも解いていることからも何よりもキリスト教徒であることが判る。

 同時に至る所に「知識人」という言葉が見られる。自分が知識人であるという強烈な自負心が感じられる。当然といえば当然だが、「知識人」として哲学書やその他の書籍も熟読し思考を深めていく姿が描かれる。前半部分では自分は公の場からは退きたい、大学院で博士号を取りたい、高等遊民になりたいという厭世的考えを持つが、後半になるにしたがってそういった考えは小さくなっていったようだ。

 本書では佐藤氏が拘置所内で一連の事件について振り返り、考察を深めた上で、佐藤氏のいう「思考する世論」を誘導しようとする姿も描かれ、転んでもただでは起きないという一面も垣間見れる。事実と向き合い、信仰という強力な武器を持ち時には『監獄の誕生』を拘置所内で読むというユーモラスな人柄も垣間見れる。

 ただ、本書を読む上で注目しなければならないのは、この記録自体が拘置所の検閲を受けているということとさらに(恐らく)いずれ公表することを前提に書かれているということだろう。本書を素直に獄中での「人間佐藤優」とみるべきではない。例えば弁護団への手紙の中でやたらに拘置所の生活が気に入った、長くいたいということが書いてあるが、もちろん拘置所に長くいたい人間などそうそういない。

 出所後、佐藤氏はしばしば拘置所の環境が勉強するには理想的であったと発言しているので全くの嘘ではないと思われるが、検察官が手紙を読むことを前提に出所を「餌」に自白を引き出そうとする検察官との駆け引きであると見た方がいい。

 手紙や日記は閲覧されることを前提にした検察官へののメッセージであり、さらにそれと同時に獄中記を書籍化することで無実の罪で不当な仕打ちを受けたということを一般に広く伝えるという意図があることを忘れてはならない。本書は「思考する世論」に対する戦略の一つであると言える。

 

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