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岩本徹三01
(画像はwikipediaより転載)


 岩本徹三少尉は、太平洋戦争の海軍戦闘機搭乗員で最も有名であるといっていい。大言壮語型の人間で腕は超一流、日中戦争から太平洋戦争をほぼ第一線で戦い抜き終戦を迎えた。総撃墜数は216機と自称しているというが、実際は80機ともいう。撃墜数は不明であるが超一流の搭乗員であることは間違いない。


日本海軍戦闘機隊のエースとは


 大正5年樺太に生まれる。昭和9年6月呉海兵団に入団。昭和11年4月第34期操縦練習生として霞ヶ浦空に入隊。昭和11年12月第34期操縦練習生終了後佐伯空に配属。昭和12年7月大村空に配属される。昭和13年2月、第12航空隊に配属される。昭和16年4月瑞鳳乗組、10月瑞鶴乗組で太平洋戦争を迎える。真珠湾攻撃、インド洋作戦、珊瑚海海戦に参加する。どちらも上空直掩。


 昭和17年8月大村空で教員配置。昭和18年3月281空に配属。幌筵島で防備につく。11月281空派遣隊としてラバウルに進出。201空に編入された。12月204空に異動。昭和19年1月253空に異動。2月トラック島に後退。6月内地に帰還する。8月332空に異動、さらに9月252空戦闘316飛行隊に異動。10月には台湾沖航空戦に参加。11月戦闘311飛行隊、昭和20年3月には203空戦闘303飛行隊に異動する。6月教員配置で終戦を迎える。


 岩本徹三は、日中戦争、太平洋戦争を通してトップエースの一人と言われている。著書の最後に撃墜数と撃墜した機種が克明に記されており、それによると総撃墜数は、太平洋戦争で202機、日中戦争で14機となっている。しかしこの撃墜数は、編隊の戦果とする見解もあり、実際は、80機前後と推定されている(秦郁彦監修『日本海軍戦闘機隊』酣燈社 1975年)。


 しかしこの80機という数字もヘンリー境田氏が指摘するように根拠のある数字ではなく、研究者の想像に過ぎない(ヘンリー境田『日本海軍航空隊のエース』大日本絵画 2000年)。さらに日中戦争の14機撃墜という数字についても異論が多いようだ(神立尚紀『零戦最後の証言』光人社 1999年)。


 岩本は緻密な計算の上で自身の戦法を編み出し、他人が非難を気にせずに実績を作り周囲を納得させるというタイプだったようで、ドッグファイトに参加せずに上空を遊弋し、傷付いた敵機を発見するや一撃撃墜して再び上空で傷付いた敵機を探すというような戦法や空戦が終わって帰る敵機を付け狙い油断しているところを撃墜する「送り狼」戦法など、「卑怯な」戦法を好んだ。


 これについては、撃墜王の西澤廣義が直接岩本に対して批判しているが、岩本は全く意に介さなかった。この性格の強さは子供の頃からだったようで『零戦撃墜王』巻末にある岩本幸子氏による「亡夫岩本徹三の思い出」によると、岩本氏は、性格が強く、小学校時代にすでに先生をやり込めたりしていたようである。


 ラバウルでも無理を言う三階級上の上官を殴っている。これは特攻作戦が行われた時も同様で周りの搭乗員が特攻に反対できずにいる中、上官に対してハッキリと「否」と言ったという(角田和男『零戦特攻』朝日ソノラマ)。


 ただ、その分大風呂敷だったようで、ラバウル熾烈な航空戦を岩本と一緒に戦った小町定も大風呂敷だったことや撃墜数についても、暗に「編隊の戦果を混同しているのではないか?」というような事を言っている(川崎浹『ある零戦パイロットの軌跡』トランスビュー 2003年)。


 しかし口だけでなく、空戦の腕は相当であったらしく、岩本徹三の名は海軍航空隊では有名だったようだ(『蒼空の航跡』)。持論は、「空戦は追尾攻撃ではなく、一撃航過で撃墜する」(安部正治「私が見た二人の撃墜王」『丸12月号別冊 撃墜王と空戦』1993年)というものでドッグファイトはしないで、一撃して離脱する戦法であった。


 戦争末期に岩本徹三と同じ部隊に所属した当時予備学生だった土方敏夫氏は、岩本を「自身のライフジャケットに「天下の浪人虎徹」と書き、田舎の爺さんのような格好をしているが、向かうところ敵なしで、たいてい撃墜して帰ってくる。」と評している(土方敏夫『海軍予備学生零戦空戦記』光人社 2004年)。


 当時若手搭乗員であった阿部三郎氏(海兵73期)もまた、「(空戦訓練は)何回やっても歯が立たなかった」と回述している(阿部三郎『藤田隊長と太平洋戦争』霞出版 1990年)。


 岩本氏は、気が強い反面、部下達にはやさしかったようで、若手搭乗員には人気があったようだ(瀧澤謙司「世紀の奇略“渡洋零戦隊”始末」『伝承零戦』三巻 1996年 ※初出は、月刊『丸』1984年12月号)。
 このように撃墜数の真為はともかく、日中戦争から終戦まで8年間をほぼ第一線で過ごし生き残った稀有な搭乗員である。

2015年2月7日初稿。
2019年6月11日加筆修正。



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