2015年01月

 伊藤清は大正10年生まれ、3空で活躍した多撃墜のエースである。撃墜数は23機に及ぶ。しかし私にとっては未知のエースであった。台南空の搭乗員達は坂井氏の著書で有名であったが、同時期に航空撃滅戦を行った3空には戦中の記録を公表した人が少なかったというのが理由なの …
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 大正9年生まれ、甲種予科練1期を修了、中国戦線を経験した搭乗員である。同期には前田英夫(13機撃墜)、松田二郎(9機撃墜)がいる。 日本海軍戦闘機隊のエースとは 概要 大正9年横浜市に生まれ、横浜2中を卒業して、昭和12年9月創設された甲飛1期予科練に応 …
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 大正10年生まれ、操練49期を修了したエースである。太平洋戦争を生き抜いたが、あまり雑誌等に寄稿していないためか謎の多い搭乗員である。同期には小町 定(18機撃墜)、国分武一(11機撃墜)、本多敏秋(9機撃墜)等がいる。 日本海軍戦闘機隊のエースとは 概要 …
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 本田稔は、2015年現在、御存命の数少ないエースの一人だ。本田稔は大正12年生まれ、甲飛5期出身である。同期のエースとしては高橋茂(10機撃墜)、鈴木博(8機撃墜)がいる。1942年1月飛練卒業というから太平洋戦争開戦後の戦中派エースということになる。まずはエース列伝 …
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 母艦戦闘機隊のエースとして著名である。大正6年生まれ。操練44期を修了した。初陣は中国戦線であった。その後1940年1月赤城乗組、1942年11月瑞鶴乗組、い号作戦、ろ号作戦共に参加する。さらに瑞鶴戦闘機隊としてラバウル航空戦に参加する。その後、各航空隊を転々とした …
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 大正5年生まれ、岩本、坂井等と同年兵である。海兵団入団後はすぐに搭乗員とはならなかったようで操練37期を修了した後、戦闘機搭乗員となった。日中戦争にも参加し、1940年9月13日の零戦初空戦にも参加した。そこで4機を撃墜したのが初陣である。その後、台南空に配属され …
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杉野計雄飛曹長 〜母艦戦闘機隊のエース〜

(画像はwikipediaより転載)  杉野計雄飛曹長は山口県生まれで、丙飛3期を卒業、基本的に母艦戦闘機隊員として活躍した戦闘機搭乗員である。495回の戦闘で32機を撃墜したといわれる。 日本海軍戦闘機隊のエースとは 概要  杉野飛曹長は大正10年山口県に生まれる。昭和 …
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杉田庄一上飛曹 〜部下思いの闘魂搭乗員〜

(画像はwikipediaより転載)  杉田庄一は、総撃墜数は単独撃墜70機、共同撃墜40機と言われている日本海軍屈指の戦闘機搭乗員である。この撃墜数は、杉田が戦死した時、全軍に発せられた布告分に記載されている数字なので公認といえば公認なのかもしれない。しかし太平洋戦 …
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太田敏夫飛曹長 〜唯一の未帰還者となった敏腕搭乗員〜

(画像はwikipediaより転載)  坂井三郎『大空のサムライ』に登場し一躍有名になった零戦搭乗員である。太平洋戦争開戦後に初空戦を経験し、戦死する1年弱の間に34機を撃墜したといわれている。最後の空戦では連合軍の7機撃墜のエースを撃墜したのち、連合軍の6機撃墜のエー …
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藤田怡与蔵少佐 〜人望のある歴戦の隊長〜

(画像はwikipediaより転載)  藤田怡与蔵少佐は、岩本徹三、西澤廣義、坂井三郎等に比べると知名度は今一つであろう。しかし撃墜42機ともいわれるエースである。藤田は撃墜王には珍しく海軍兵学校出身の士官であり、それも海兵66期出身という、太平洋戦争開戦前に中国戦線 …
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菅野直大尉 〜ベテランを心酔させた若手指揮官〜

(画像はwikipediaより転載)  数少ない士官の撃墜王。総撃墜数は25機とも48機とも、または65機ともいわれている。初出撃が1944年と戦争後半を戦った撃墜王である。凄まじい闘志を持っていた暴れん坊だったようで訓練で随分飛行機を破壊したようである。後に有名なエース部 …
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日本海軍 特二式内火艇 カミ車

 これはアツいでしょー。日本海軍特二式内火艇カミ車。水陸両用戦車だ。読みは「ないかてい」ではなく「うちびてい」なのだ。私はずーっと「ないかてい」と読んでいた。私と同じ轍を踏まないように皆さん気を付けて下さい。これ、何に使えるかというと敵地への強襲上陸時に …
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