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01_戦艦摂津
(画像はwikipediaより転載)

 

 河内級戦艦は日本初の弩級戦艦であった。主砲は後の戦艦のように中心線に一列に並ぶ形式ではなく、前後に2基、左右舷側に2基ずつの合計6基が設置されるという形式であった。艦首の形状も1番艦河内が垂直艦首、2番艦摂津がクリッパー型と異なっていた。6基ある主砲も前後の2基と左右舷側の4基の口径(砲身の長さ)が異なっている等、過渡期的な性格の戦艦といえる。むしろ河内級は戦艦としてよりも標的艦としての活躍の方が有名であろう。

 

戦艦 河内級 〜概要〜

 

性能

 通常排水量 20800トン
 最大排水量 -トン
 全長 152.4m
 全幅 25.7m
 吃水 8.2m
 機関出力 2万5000馬力
 最大速力 20ノット
 航続距離 -海里/ -ノット
 乗員 999名
 武装 50口径30.5cm砲連装2基
    45口径30.5cm砲連装4基
    45口径15.2cm砲単装10基
    40口径12cm砲単装8基
    40口径7.6cm砲単装16基
    45cm水中発射管5門
 装甲 舷側 30.5cm
    甲板 7.6cm
    主砲 -cm
 同型艦 2隻

 

特徴

 1906年のドレットノート級戦艦の竣工の翌年に発注された日本初の弩級戦艦がこの河内級である。本級は薩摩型戦艦2番艦安芸の改良型といえるものであるが、全長は安芸よりも10mほど長く、排水量も1000トンほど増加している。日本の戦艦としては初めて三脚檣を採用したのも外観上の特徴である。

 本級の一番の特徴は30.5cm連装砲6基を装備した弩級戦艦であることだ。連装砲は前後に2基、左右舷側に2基ずつ配置されている。これにより各方位に対して最低でも3基以上で砲撃することができるようになっているが、弱点としては前後にある2基が50口径の長砲身であるのに対して舷側の4基は45口径で若干砲身が短くなっていることである。これにより射程距離、破壊力が異なり運用上不利であった。これは当時の軍令部長東郷平八郎元帥の意見によって決まったともいわれている。実際の運用では火薬の量を調整することにより運用上の不利を解消したようである。

 主機は前級の1番艦薩摩がレシプロ機関、2番艦安芸がタービン機関であるのに対して、本級では1、2番艦ともに、さらに改良されたタービン機関のみの装備である。速力は20ノットと弩級戦艦よりも若干劣りはするがほぼ同レベルであったが、1番艦河内は垂直艦首であったため凌波性に難があった。装甲はハーヴェイ鋼よりも高性能のクルップ鋼を使用しており防御力も十分であった。

 

同型艦

1番艦河内(起工1909年4月、竣工1912年3月)
2番艦摂津(起工1909年1月、竣工1912年7月)

 

戦艦河内級の活躍

 

1番艦河内

02_戦艦河内
(画像はwikipediaより転載)

 

 前述のように1番艦河内と2番艦摂津の一番大きな違いは艦首の形状である。摂津がクリッパー型の艦首であるのに対して河内は垂直艦首だった。クリッパー型とは艦首が海面に対して少し「前のめり」形状をしている型で、これにより凌波性を高めることができるが、艦首をクリッパー型に変更すると決定した時にはすでに河内の工事は進行していたため修正することができなかった。

 河内は竣工すると直ちに第一艦隊に編入され旗艦となった。第一次世界大戦には姉妹艦摂津と共に海上の警備に従事するが特に目立った活躍はない。1917年予備艦となり、1918年に現役に復帰するが、同年7月徳島湾を航行中に火薬庫の爆発により沈没。9月に除籍となる。

 

2番艦摂津

03_戦艦摂津
(画像はwikipediaより転載)

 

 1912年に竣工した2番艦摂津は、1番艦河内と同様に第一次世界大戦に海上警備に従事した以外には目立った活躍はしていない。1922年に締結されたワシントン軍縮条約では未成艦は廃棄されることが決定していたが、当時、建造中(実際はほぼ未成艦)の長門型戦艦2番艦陸奥を既成艦として認める代償として摂津が退役、標的艦となった。

 

第一次改装

 1923年10月制式に標的艦となった摂津は、武装を全廃、当初は標的艦を曳航する曳航艦として任務にあたった。1936年無線操縦技術が確立されると摂津は無線操縦の所謂「ラジコン戦艦」となり、同時に演習弾の命中にも耐えられるように装甲が強化された。16基あったボイラーも4基の重油専用ボイラーに変更することとなり、「ラジコン戦艦」としての自動燃焼装置も装備された。これにより速力が20ノットから16ノットに低下している。この時に摂津の煙突は3本から2本になっている。

 

第二次改装

 1939年から1940年にかけて第二次改装を実施する。この改装は航空攻撃に対応することを主眼に改装された。まずは航空攻撃に対する操艦の訓練も行えるように上部装甲を強化、ボイラーも増強され速力も17.4ノットにまで増加された。

 この改装により摂津が航空攻撃に対する艦の操艦訓練も行えるようになったことが、航空攻撃に対する日本海軍の操艦技術の向上に大きく貢献することとなる。太平洋戦争が始まると摂津は南シナ海、フィリピン、台湾等に進出し、機動部隊の空母に偽装して符号を発信した。太平洋戦争中も標的艦として活躍し続けたが1945年7月の呉軍港空襲により大破着底、1945年11月除籍される。

 

まとめ

 

 河内級戦艦は日本初の弩級戦艦ではあるが、速度も弩級戦艦に比べ若干遅く、主砲の口径も2種類存在するなど、若干難のある戦艦であった。本級の一番の活躍は戦艦としての職責を解かれ標的艦として活躍したことであっただろう。標的艦に改装された摂津は「ラジコン戦艦」として日本海軍の戦闘技術の向上に大きな貢献をしのだった。

 

関連リンク

前級薩摩級戦艦

 

 

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01_戦艦マジェスティック
(画像はwikipediaより転載)

 

 マジェスティック級戦艦はイギリス海軍防衛条例の一環として1895〜1898年にかけて建造された歴史上最大数を誇る戦艦クラスである。当時は戦艦の黄金時代で同時に戦艦が大きく進化した時代でもあった。ド級戦艦の登場により旧式化したものの第一次世界大戦にも参戦した歴戦の艦である。

 

戦艦 マジェスティック級 〜概要〜

 

性能

 通常排水量 14560トン
 最大排水量 -トン
 全長 128.3m
 全幅 22.9m
 吃水 8.2m
 機関出力 1万2000馬力
 最大速力 17ノット
 航続距離 7000海里/10ノット
 乗員 672名
 武装 35口径30.5cm砲連装2基
    40口径15.2cm砲単装12基
    7.6cm砲単装16基
    4cm砲単装12基
    4.5cm水上発射管1基
    同水中発射管4門
 装甲 舷側 22.9cm
    甲板 10.2cm
    主砲 25.4cm
 同型艦 9隻

 

特徴

 マジェスティック級戦艦は、世界初の近代戦艦、ロイヤルサブリン級をさらに改良、強化された艦である。主砲はロイヤルサブリン級の34.3cm砲に対して30.5cm砲と口径は小さくなったが砲身長がロイヤルサブリン級の30口径に対して35口径と延長、さらに黒色火薬から無煙火薬を使用することにより貫通力が増大した。さらに砲門数も10門から12門にアップされている。動力も水圧式動力装置を使用、天蓋もある完全密閉式砲塔を採用しているためロイヤルサブリン級に比して防御力も高い。

 装甲はロイヤルサブリン級のニッケル鋼に対してより能力の高いハーヴェイ鋼を使用したことから装甲厚はロイヤルサブリン級の半分でありながらより高い防弾性能を持っている。推進機関はレシプロ機関ではあるが、石炭重油混合燃焼方式で速力、航続力共にロイヤルサブリン級よりも向上している。本艦は同型艦が9隻建造されており、これは戦艦の同型艦建造数としては最多である。

 

同型艦

マジェスティック(1894年2月起工、1895年12月竣工)
マグニフィセント(1893年12月起工、1895年12月竣工)
プリンス・ジョージ(1894年9月起工、1896年11月竣工)
ヴィクトリアス(1894年5月起工、1896年11月竣工)
ジュピター(1894年4月起工、1897年5月竣工)
マース(1894年6月起工、1897年6月竣工)
シーザー(1895年3月起工、1898年1月竣工)
ハンニバル(1894年5月起工、1898年4月竣工)
イラストリアス(1895年3月起工、1898年4月竣工)

 

戦艦マジェスティック級の活躍

 

02_戦艦シーザー
(画像はwikipediaより転載)

 

 マジェスティック級は1番艦マジェスティックが1895年暮れに竣工したのを皮切りに1898年までに9隻が竣工する。竣工後はイギリス海軍の主力として海峡艦隊、地中海艦隊、さらには中国基地でも活躍した。1906年にはドレットノート級戦艦の登場によりそれ以前に建造された戦艦は一気に陳腐化するが、その後もイギリス海軍に在籍し続ける。

 1912年には同型艦の多くは予備役に編入されるが、1914年に第一次世界大戦にイギリスが参戦すると現役に復帰した。1番艦マジェスティックはドイツ海軍のUボートの雷撃により撃沈されたが、他の同型艦は1915年以降、主力艦の位置から外れたものの補助艦艇として活躍し続けた。

 しかし1918年にジュピター、1919年4月にはイラストリアスが除籍される。シーザーも1920年まで現役でいたが、同年に除籍、解体処分された。その他の同型艦も1921年までに全てが除籍、解体処分された。

 

まとめ

 

 マジェスティック級戦艦は前級のロイヤルサブリン級戦艦を改良、主砲塔を密閉式、さらには無煙火薬の使用など革新的な改良がされた戦艦であったが、この時代の他の戦艦と同様にドレットノート級戦艦の登場により歴史から姿を消すこととなった。しかしマジェスティック級戦艦は日本の敷島型戦艦にも大きな影響を与えた記念碑的な艦である。

 

関連リンク

前級ロイヤルサブリン級戦艦

 

次級カノーパス級戦艦

 

次級敷島級戦艦

 

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01_レナウン級二等戦艦
(画像はwikipediaより転載)

 

 一等戦艦の開発が遅れたため急遽建造された艦であったが、ハーヴェイ鋼の使用や後に一般的となる副砲の装甲内設置等斬新な設計がされた艦であった。最高速度も公試では18.75ノットという驚異的な速度を記録した高性能戦艦である。

 

戦艦 レナウン級 〜概要〜

 

性能

 通常排水量 12350トン
 最大排水量 -トン
 全長 124.4m
 全幅 22m
 吃水 8.2m
 機関出力 1万2000馬力
 最大速力 18ノット
 航続距離 6400海里/10ノット
 乗員 674名
 武装 40口径25.4cm砲連装2基
    40口径15.2cm砲単装12基
    口径5.7cm砲単装16基
    口径4cm砲単装12基
    4.5cm水上発射管1基
    同水中発射管4門
 装甲 舷側 20.3cm
    甲板 7.6cm
    主砲 15.2cm
 同型艦 1隻

 

特徴

 30.5cm砲搭載戦艦の開発が遅れていたため急遽センチュリオン級の改良型として建造されたのが本級である。イギリス海軍の二等戦艦とは排水量12000トン以下、主砲が25.4cm砲程度のもので前級のセンチュリオン級と本級が該当する。

 本級もセンチュリオン級と同様に25.4cm砲を搭載しているが、センチュリオン級の砲身が30口径だったのに対して本級は40口径と延長されている。さらに初の試みとして副砲を全て装甲内に設置していたことで、その副砲を当時としては強力なハーヴェイ鋼の装甲で護っていた。

 本級に搭載されたエンジンは予想を超える高性能を発揮し、公試での最高速度は18.75ノットに達した。建造は1隻のみであったが、数々の新機軸が盛り込まれた艦で即席で作られた二等戦艦というような艦ではない。前述のように二等戦艦は前級のセンチュリオン級と本級で最後となった。

 

同型艦

1番艦レナウン

 

建造

 レナウンは1893年2月に起工、1897年1月に就役した。

 

戦艦レナウン級の活躍

 

1番艦レナウン

02_レナウン級二等戦艦
(画像はwikipediaより転載)

 

 レナウンは1897年に就役すると北米、西インド諸島方面の艦隊旗艦として活躍しました。1899年5月に改修を受けた後、地中海艦隊に移動、1900年2月には再び簡単な改修を行っている。度々イギリス王室の御召艦として活躍した。1906年5月に予備役に編入された。

 予備役編入後も御召艦として活躍したが、1913年退役、1914年スクラップとして売却された。

 

まとめ

 

 戦艦レナウンは二等戦艦というマイナーな艦種ではあったが、高速、高性能であったため、イギリス海軍の著名な提督であるフィッシャー提督には気に入られていたという。この高性能二等戦艦レナウンの名は後に巡洋戦艦として受け継がれる。

 

 

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01_BB-1戦艦インディアナ
(画像はwikipediaより転載)

 

 戦艦インディアナ級はアメリカ海軍初の近代戦艦であった。性能に特に斬新な点はないものの同時代の戦艦並みの能力を有し、米西戦争で有名な閉塞作戦やシベリア出兵等にも参加した。本級の内1隻は日本において解体処分されている。

 

戦艦 インディアナ級 〜概要〜

 

性能

 通常排水量 10288トン
 最大排水量 -トン
 全長 107m
 全幅 21.1m
 吃水 7.3m
 機関出力 9000馬力
 最大速力 15ノット
 航続距離 5640海里/10ノット
 乗員 473名
 武装 35口径33cm砲連装2基
    35口径20.3cm砲連装4基
    40口径15.2cm砲単装4基
    5.7cm砲単装20基
    45cm水上発射管6基
 装甲 舷側 45.7cm
    甲板 7.6cm
    主砲 43.2cm
 同型艦 3隻

 

特徴

 アメリカ海軍初の近代戦艦であるインディアナ級は、乾舷(甲板と水面の距離)が低く、耐波性に難があり、外洋での運用は出来なかったため、3番艦オレゴンが太平洋を渡りフィリピン、中国近海まで進出した以外は、主に沿岸防備用に運用された。しかし装甲は45.7cm、火力も33cm連装砲とイギリス戦艦ロイヤルサブリン級とほぼ同等の能力を有した。同型艦は3隻建造されている。

 

同型艦

1番艦インディアナ
2番艦マサチューセッツ
3番艦オレゴン

 

建造

 1番艦インディアナは1891年5月に起工、2番艦マサチューセッツは1891年6月、3番艦オレゴンは1891年11月に起工されている。1番艦インディアナは1895年11月に就役、2番艦マサチューセッツは1896年6月、3番艦オレゴンは1896年7月に就役した。

 

戦艦 インディアナ級の活躍

 

1番艦インディアナ

02_BB-1戦艦インディアナ
(画像はwikipediaより転載)

 

 1番艦インディアナは1898年、米西戦争が始まると北大西洋艦隊の一員として参加、姉妹艦、オレゴンと共にキューバ作戦に参加した。戦後は練習艦として運用されるが1903年に退役する。1906年には再び練習艦として運用、1914年に再び退役する。1917年に三度就役するが、1919年に標的艦として海没した。

 

2番艦マサチューセッツ

03_BB-2戦艦マサチューセッツ
(画像はwikipediaより転載)

 

 2番艦マサチューセッツは、1896年に就役、米西戦争に参加した後は北大西洋艦隊所属艦として活躍、その後練習艦となった。1914年5月退役したが、1917年6月に再び練習艦として就役、1919年3月除籍、標的艦として使用された後に水没。スクラップとして売却しようとしたが買い手が付かず1956年、フロリダ州の資産となった。

 

3番艦オレゴン

04_BB-3戦艦オレゴン
(画像はwikipediaより転載)

 

 3番艦オレゴンは、1898年に米西戦争に参加した。その後は太平洋方面で警備艦として活動した後、フィリピンに派遣され、さらには義和団の乱においては中国のウソンに展開した。1901年5月オーバーホールのため米本土に帰還する。1903年3月、再び極東に派遣されたが、1906年に退役する。1911年に再就役したが目立った活躍は無く1914年に予備役編入。1917年、現役に復帰し、シベリア出兵に参加した後、1919年10月退役した。退役後は博物館艦となるが、1941年スクラップとして売却、船体はのちに海軍に返還され、1944年のグアム戦では艀(はしけ)として利用された。1956年3月売却され日本において廃棄される。

 

まとめ

 

 戦艦インディアナは主に米西戦争で活躍した戦艦だった。乾舷が低く大洋での航海には不向きであったがフィリピンや中国にも派遣されている。特に3番艦は極東方面にしばしば派遣され、戦後に日本において解体されている何かと日本と関係の深い艦であった。

 

 

 

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01_戦艦バーフラー
(画像はwikipediaより転載)

 

 本級は日本ではバーフラー級と呼称されるが、竣工はセンチュリオンの方が早いのでセンチュリオン級と呼ぶべきである。本級は前級ロイヤルサブリン級に対して二等戦艦と呼ぶべきものであるが、砲塔も密閉式を採用、機動力でもロイヤルサブリン級を凌いでいた。

 

戦艦 センチュリオン級 〜概要〜

 

性能

 通常排水量 10500トン
 最大排水量 -トン
 全長 109.5m
 全幅 21.3m
 吃水 7.8m
 機関出力 1万3000馬力
 最大速力 18.5ノット
 航続距離 5230海里/10ノット
 乗員 620名
 武装 30口径25.4cm砲連装2基
    12cm砲単装10基
    5.7cm砲単装8基
    4.7cm砲単装12基
    45cm水上発射管5基
    同水中発射管2門
 装甲 舷側 30.5cm
    甲板 6.4cm
    主砲 15.2cm
 同型艦 2隻

 

特徴

 1889年の海軍防衛条例によって建造された戦艦である。海軍防衛条例とはイギリスの海軍力増強政策で圧倒的優勢にあるイギリス海軍の優勢を維持し続けるために2位、3位の国の海軍力を合わせた以上の海軍力を維持するという強烈なものである。

 この条例により建造されたセンチュリオン級は2隻で主に中国の沿岸警備用として設計されたため小型であり、前級のロイヤルサブリン級の小型版といっていい。主砲は25.4cm連装砲2基とロイヤルサブリン級の34.3cm砲に比べれば小型ではあるが、ロイヤルサブリン級では装填時に砲身を艦の中心線に合わせる必要があったが本級ではどの方向に砲を向けていても装填が可能である。

 本級は砲塔もロイヤルサブリン級がオープントップ式であったのに対して密閉式であり、建造の目的が海外での運用を前提としていたため、航続距離も長く、推進機関も大型戦艦並みであったことから最高速力は18.5ノットとロイヤルサブリン級よりも2ノットも優っていた。

 

同型艦

1番艦センチュリオン
2番艦バーフラー

 

建造

 1番艦センチュリオン、2番艦バーフラーともに1892年8月に起工、1番艦センチュリオンは1894年2月、2番艦バーフラーは1894年6月に就役した。

 

戦艦センチュリオン級の活躍

 

1番艦センチュリオン

02_戦艦センチュリオン
(画像はwikipediaより転載)

 

 1894年に就役したセンチュリオンは中国基地に配備、義和団の乱の鎮圧支援等に活躍する。1901年に帰国、改装を受け副砲をより強力な15.2cm砲に換装された。改装後、再び中国に展開したが、1909年除籍、1910年にスクラップとして売却された。

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2番艦バーフラー

03_戦艦バーフラー
(画像はwikipediaより転載)

 

 2番艦バーフラーは就役後、地中海艦隊に配備され、その後中国で義和団の乱等の鎮圧支援に活躍するが、1904年には予備役編入、1909年除籍、1910年にスクラップとして売却された。

 

戦艦センチュリオン級(模型)

 

コンブリック 1/700 イギリス海軍 弩級戦艦 センチュリオン エッチングパーツ付き 1912年 レジンキット

 1番艦センチュリオンは中国義和団の乱鎮圧支援に活躍、前級ロイヤルサブリン級の7割程度の排水量であったが、ロイヤルサブリン級を凌ぐ高い機動力と航続距離により海外でより活躍した。

 

まとめ

 

 センチュリオン級は二等戦艦に分類される小型戦艦である。しかし一等戦艦を凌ぐ高速と長大な航続力により海外での作戦行動には有効な艦であった。当時は戦艦も技術革新の時代であり、高速、高性能な本級もわずか16年で廃艦となった。

 

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01_BB-61戦艦アイオワ
(画像はwikipediaより転載)

 

 第二次世界大戦のアメリカ参戦は真珠湾攻撃によって始まった。これによって米戦艦部隊は壊滅的打撃を受け、以後、空母中心の戦術に変更せざる得なくなったと言われているが実際には米国は戦中も戦艦の建造を続けて10隻もの新鋭戦艦を戦場に送り込んでいる。今回はこの10隻の戦艦についてみてみたい。

 

太平洋戦争での戦艦の活躍

 

 アメリカの第二次世界大戦は真珠湾攻撃によって始まった。この空母機動部隊が海の王者戦艦を壊滅状態にしたという空前の事件により、米国は航空機の威力を知り戦艦中心から空母中心に代えていったと言われる。この分析は正しいとはいえない。何故ならばアメリカは開戦後も戦艦の建造を続け、新鋭戦艦を10隻も戦場に送り込んでいるからだ。

 さらには真珠湾攻撃で大破着底した旧式戦艦すらも改装を行現役に復帰させている。確かに海戦の主役は航空機と空母に移り始めてはいたが、太平洋戦争初期から中期までは戦艦同士の砲撃戦も行われる等、依然として戦艦の存在は重視されていた。特に戦艦ノースカロライナ級や戦艦サウスダコタ級は戦争中期に南太平洋戦域に派遣され海戦によりかなりの戦果を挙げている。

 

ノースカロライナ級戦艦

03_BB-56戦艦ワシントン
(画像はwikipediaより転載)

 

性能

 通常排水量 35000トン
 最大排水量 44638トン
 全長 222.3m
 全幅 33m
 吃水 10m
 機関出力 12万1000馬力
 最大速力 28ノット
 航続距離 15000海里/15ノット
 乗員 1880名
 武装 45口径40.6cm砲3連装3基
    12.7cm両用砲2連装10基
    28mm機関砲4連装4基
 装甲 舷側30.5cm
    甲板14cm
    主砲30.5cm
 同型艦 2隻

 

 ロンドン海軍軍縮条約では戦艦の主砲は35.6cm以内と決められていたが、1937年にこの条約が失効したことにより各国は制限のない状態での新型戦艦の開発が可能となった。但し、本級が計画された段階ではロンドン海軍軍縮条約が延長されるかどうかは不明であり、35.6cm砲搭載艦として計画されたものを条約の失効により40.6cm砲搭載艦として設計し直したという経緯がある。

 主砲こそは40.6cm砲を搭載したものの、装甲が35.6cm砲用のものであり、40.6cm砲に対しては防御力が不足することが本級の弱点であった。さらにスクリューが動くと艦に大きな振動が起こるという問題点があった。この問題は結局は解決するも、解決するまでに数年を要した。

 本級は就役後、欧州戦域に派遣されたりしたが、海戦で敵戦闘艦と戦火を交えることはなかったが、太平洋戦域に派遣されると第二次ソロモン海戦を手始めに多くの海戦に参加することとなる。特に2番艦ワシントンは第三次ソロモン海戦で日本海軍の戦艦霧島に主砲9発を命中させ撃沈するという戦果を挙げた。

 

 

サウスダコタ級戦艦

02_BB-60アラバマ
(画像はwikipediaより転載)

 

性能

 基準排水量 35000トン
全長 207.4m
全幅 33m
吃水 10.3m
機関出力 13000hp
最大速度 27ノット
航続距離 15000海里/15ノット
乗員 1793名
武装 45口径40.6cm砲 3連装3基
   12.7cm両用砲 2連装10基
   28mm機関砲4連装7基
   20mm機関砲 35基
装甲 舷側31cm 甲板14.6cm 主砲45.7cm 
同型艦 4隻

 

 ノースカロライナ級戦艦が計画変更によって40.6cm砲を搭載したのと異なり、サウスダコタ級戦艦は当初から40.6cm砲搭載が予定されていた。このため装甲も前級に比べて厚く、よりバランスのとれたものとなった。全長は前級に比べて15mも短くなった代わりに軽量化された分は装甲の強化に充てられた。外観上は全長が短くなった分、「ずんぐり」した形状になっていることと前級では煙突が2本であったものが1本になっているのが特徴である。

 本級もノースカロライナ級戦艦と同様、戦艦同士の砲撃戦を経験している。1番艦サウスダコタ、2番艦インディアナ級は太平洋戦域に派遣され日本海軍と激戦を展開、3番艦マサチューセッツは大西洋戦域に派遣され、フランス海軍戦艦ジャン・バールと戦火を交えている。この際、マサチューセッツはフランス駆逐艦2隻を撃沈するという戦果を挙げている。

 

 

アイオワ級戦艦

04_BB-62戦艦ニュージャージー
(画像はwikipediaより転載)

 

性能

基準排水量 45000トン
最大排水量 59000トン
全長 270.6m
全幅 33m
機関出力 21万2000馬力
最大速度 33ノット
乗員 1921名
武装 50口径40.6cm3連装3基
   12.7cm連装砲10基
   40mm機関砲4連装15基
   20mm機関砲単装20基
装甲 舷側30.7cm
   甲板15.2cm
   主砲43.1cm

同型艦 4隻

 

 ノースカロライナ級戦艦、サウスダコタ級戦艦とは全く別次元の戦艦がこのアイオワ級である。前級の排水量が3万5000トンであったのに対してアイオワ級は4万5000豚、最大排水量では5万9000トン、全長もサウスダコタ級戦艦に対して60m以上も長いアメリカ海軍史上最強の戦艦であった。大型化はしたものの最大速度は新戦艦中最速の33ノット、主砲はサウスダコタ級戦艦と同じ40.6cm砲であったが、口径が50口径となりさらに強力になった。つまりは全てにおいて別次元の戦艦であったのだ。

 アイオワ級は1943年に就役すると当時最強であったドイツ戦艦テルピッツに唯一対抗できる戦艦として大西洋に派遣されるが、しばらくして太平洋戦域に移動することになる。以降、同級は戦艦同士の海戦はなかったものの、艦砲射撃に威力を発揮した。

 戦後も予備役と現役復帰を繰り返し、朝鮮戦争、ベトナム戦争に活躍する。1980年代に600隻艦隊構想により現役復帰した際には近代化改装を行い、最新の電子機器を装備した上に巡航ミサイルトマホーク、対艦ミサイルハープーン、CIWSなどが装備された世界で唯一の「ハイテク戦艦」であった。改装後はレバノン紛争、湾岸戦争に活躍した世界最後の戦艦である。

 

 

まとめ

 

 太平洋戦争は一般に航空機と空母の戦争であったと言われる。しかし実際にはまだまだ戦艦の能力に頼っていた部分は多く、特に前半から中盤に至るまでは戦艦がその主砲の威力を発揮する場は多くあった。後半になるとその機会はほぼ無くなったが、それでもレイテ沖海戦では戦艦同士の砲撃戦が行われている。

 

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01_戦艦安芸
(画像はwikipediaより転載)

 

 薩摩級戦艦は日本初の国産戦艦である。初の戦艦でありながら世界最大の戦艦であり、最新のタービン機関を搭載した画期的な戦艦であった。第一次世界大戦に参加した他は目立った活躍はしていないが、日本戦艦史に残る名艦であるといえる。

 

戦艦 薩摩級 〜概要〜

 

性能

 通常排水量 19372トン(安芸は19800トン)
 最大排水量 -トン
 全長 137.2m(安芸は140.2m)
 全幅 25.5m
 吃水 8.4m
 機関出力 1万7300馬力(安芸は2万5000馬力)
 最大速力 18.3ノット(安芸は20ノット)
 航続距離 -
 乗員 887名(安芸は931名)
 武装 45口径30.5cm砲連装2基
    45口径25.4cm砲連装6基
    40口径12cm砲単装12基
    45口径15.2cm砲単装8基(安芸のみ)
    40口径7.6cm砲単装8基(安芸は16基)
    45cm水中発射管5門
 装甲 舷側 22.9cm
    甲板 50.8cm
    主砲 233.7cm
 同型艦 2隻

 

特徴

 本級は日本初の国産戦艦である。それまで装甲巡洋艦建造の経験はあったものの戦艦の建造経験はなかったが、香取級よりも高性能な戦艦を目指して日本独自の設計で建造された。旧来の戦艦を増産するのではなく独自設計でより高性能を目指した意欲作であった。

 当初の計画では艦の中心線上に主砲連装4基を搭載するという弩級戦艦を先取りする案もあったが、最初の国産戦艦ということもあり従来通りの前後に2基という設計で落ち着いた。主砲の数こそは従来通りであったが、中間砲は45口径25.4cm連装砲を6基とかなり強力な配置となっている。中間砲は威力こそ主砲に劣るものの発射速度では主砲を上回り、状況によっては弩級戦艦をも凌駕する能力を持ったものであった。

 このため排水量は2万トン近くなり、建造時点では世界最大の戦艦となった。さらに2番艦安芸では最新のタービン機関を搭載するという初の国産戦艦としてはかなり挑戦的な艦であった。同型艦で速力が異なるという点を承知の上で新技術に挑む意欲と同時に当時の日本の焦りが感じられなくもない。

 

同型艦

 1番艦薩摩
 2番艦安芸

 

建造

 1番艦薩摩は1905年5月に起工、2番艦安芸は1906年3月に起工した。1番艦薩摩は1910年3月、2番艦安芸は1年後の1911年3月に竣工した。

 

戦艦薩摩級の活躍

 

1番艦薩摩

02_戦艦薩摩
(画像はwikipediaより転載)

 

 主砲の増設を諦める代わりに中間砲を増設した本級だが、当初は発射速度に難があった。改良を繰り返され、後には発射速度も速くなり弩級戦艦に匹敵する砲戦能力になったと言われている。1910年竣工と同時に第一艦隊に就役、第一次世界大戦では第二南遣支隊に編入され、太平洋のドイツ領攻略作戦に活躍した。1923年9月、ワシントン軍縮条約により廃艦、除籍となる。1924年9月には標的艦として沈没した。

 

2番艦安芸

03_戦艦安芸
(画像はwikipediaより転載)

 

 安芸は1番艦薩摩の同型艦とされているが、実際には様々な違いがある。副砲の口径が延長されていること等もあるが、最大の違いは薩摩がレシプロ機関であるのに対して、安芸がタービン機関であることであろう。これにより最大出力が薩摩1万7300馬力に対して安芸2万5000馬力と大幅に増加している。最大速度も薩摩18.5ノットに対して安芸が20ノットと大きな違いが出ている。外観上の違いは煙突の数で薩摩が2本に対して安芸は3本である。

 1911年3月に竣工した安芸は、第一次世界大戦に参加したのち、1919年には大改装を受け、数度御召艦として活躍したが、1923年9月、ワシントン軍縮条約により廃艦となった。1924年9月標的艦として戦艦長門、陸奥の砲撃により沈没。艦はこれにより沈没したが、安芸の砲身のみは兵庫県西宮市の鳴尾八幡神社で戦没者を祀る慰霊塔として現存している。

 

04_戦艦安芸砲身
(画像はwikipediaより転載)
鳴尾八幡神社に現存する戦艦安芸の砲身

 

まとめ

 

 薩摩型戦艦は日本海海戦の前々日に起工、日露戦後に就役しワシントン軍縮条約により廃艦となった目立たない戦艦であった。しかし日本初の国産戦艦であった。本級には初の国産戦艦でありながら世界最大の戦艦であったことを始め、最新のタービン機関を採用する等、当時の技術者の数々の意欲的な挑戦がみられる日本戦艦の記念碑的な艦であった。

 

関連リンク

前級香取級戦艦

 

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01_戦艦ロイヤルサブリン
(画像はwikipediaより転載)

 

 戦艦ロイヤルサブリン級は世界初の近代戦艦と言われている。砲塔こそオープントップ式で被弾には弱いものの20年以上に亘ってイギリスの本土、権益を守り続けた。本級の改良型が富士級として日本海軍に購入され、日本海海戦において活躍することとなる。

 

戦艦 ロイヤルサブリン級 〜概要〜

 

性能

 通常排水量 14150トン
 最大排水量 -トン
 全長 125m
 全幅 22.9m
 吃水 8.4m
 機関出力 1万1000馬力
 最大速力 16.5ノット
 航続距離 4720海里/10ノット
 乗員 712名
 武装 30口径34.3cm砲連装2基
    40口径15.2cm砲単装10基
    5.7cm砲単装16基
    4.7cm口径砲単装12基
    45cm水上発射管5基
    同水中発射管2門
 装甲 舷側 45.7cm
    甲板 10.2cm
    主砲 43.2cm
 同型艦 8隻

 

特徴

 1889年、イギリス海軍は海軍の大拡張計画を立案した。その計画の第1弾として建造されたのが本級である。レシプロ機関2基、2軸推進により最高速度16.5ノットという高速走行を可能とした。主砲の砲塔はオープントップ式(屋根がない)を採用していたが、仰角を大きくとる事ができ、発射ガスの除去にも有利であった反面、防御力が貧弱なのが致命的な弱点であった。

 装甲はニッケル鋼であるが、舷側の装甲帯は船体全体の2/3にわたって施されていた。8隻が建造されたがフッドのみは密閉式砲塔を採用したため重量増加により乾舷が低くなってしまい近代以前の艦に分類されることがある。準同型艦といえる。

 

同型艦

ロイヤルサブリン
エンプレスオブインディア
フッド
レパルス
ロイヤルオーク
レゾリューション
ラミリーズ
リベンジ

 

建造

 1番艦であるロイヤルサブリンが1889年9月に起工したのを最初に全8隻が1889年9月から189年2月までに起工された。就役はロイヤルサブリンが一番早く1892年5月、以降、1894年6月までに全艦が就役した。

 

戦艦ロイヤルサブリン級の活躍

 

 就役後、本級はイギリス海峡防衛のため設置されていた海峡艦隊、さらには地中海艦隊に配属された。後に本国の防衛任務に活躍したのち予備艦となる。20年以上活躍したが、ドレットノート級の登場により陳腐化、まず1911年7月にレパルスが解体され、1912年にはエンプレスオブインディアが標的艦として撃沈、1913年10月にロイヤルサブリンとラミリーズがスクラップとして解体、1914年1月にロイヤルオークも解体、同年4月レゾリューションがスクラップ用に売却、フッドも1914年には潜水艦侵入阻止のためポートランド湾に沈められた。

 一時期は記念艦として保管されていたリヴェンジも1919年11月に解体処分となった。本級は他国に多大な影響をもたらし戦艦建造の模範となった記念すべき艦であった。

 

まとめ

 

 本級は近代戦艦の第一号と言われている。装甲材こそは古いものの、重厚な装甲と16.5ノットの高速で20年以上活躍する。しかし1906年のドレットノート級戦艦の登場により旧式化していった。特にフッド以外、砲塔がオープントップ式であったため被弾に弱く寿命を早めた。しかし本級の改良型である富士級は日本海軍に購入され日露戦争で大活躍をすることとなる。

 

関連リンク

次級富士級戦艦

 

次級センチュリオン級戦艦

 

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01_戦艦香取
(画像はwikipediaより転載)

 

 戦艦香取級は敷島級の後継にあたる戦艦であるが、就役が日露戦後であったためあまり知られていない戦艦であるが、完成当初は世界最強、最新鋭の戦艦であった。海戦を一度も行うことなくワシントン軍縮条約により廃艦となった。

 

戦艦香取級 〜概要〜

 

性能

 通常排水量 15950トン(鹿島16400トン)
 最大排水量 -トン
 全長 139m(鹿島143.3m)
 全幅 23.8m(鹿島)
 吃水 8.2m(鹿島8.1m)
 機関出力 1万6000馬力(鹿島1万5600馬力)
 最大速力 18.5ノット
 航続距離 10000海里/10ノット
 乗員 864名
 武装 45口径30.5cm砲連装2基
    45口径25.4cm単装砲4基
    15.2cm単装砲12基
    7.6cm単装砲16基
    45cm水中発射管5門
 装甲 舷側 22.9cm
    甲板 7.6cm
    主砲 -cm
 同型艦 2隻

 

特徴

 日露戦争開戦前の1904年に起工された艦で風雲急を告げる日露関係に備える目的で発注された戦艦であったが、日露戦争には間に合わず戦後に竣工した。要目は当時イギリスが建造中のキング・エドワード7世級に準じているが、砲数では香取級の方が若干上回っている。

主砲は敷島級と同じ30.5cm砲であったが、敷島級の40口径に対して45口径となり、副砲も長砲身化されたので遥かに強力になっている。因みに「口径」とは砲身長を表す用語で、45口径とは砲身の長さが砲内の直径×45の長さであることを意味する。

 2隻揃うまでの期間を短縮するために1番艦香取はヴィッカーズ社、2番艦鹿島はアームストロング社と別々の会社に発注されたため、砲口径等の主要部分以外の仕様はかなり異なっている。1906年8月に日本に引き渡された際は世界最強の戦艦であったが、わずか4ヶ月後に戦艦の革命とも言えるドレットノート級が完成してしまったため一気に旧式戦艦となってしまった。

 

建造

 1番艦香取は1904年4月にヴィッカーズ社で起工、2番艦鹿島は1904年2月にアームストロング社で起工された。竣工は1番艦が1906年5月20日、2番艦鹿島が1906年5月23日である。一応、同型艦ということになっているが全長等仕様が大きく異なるので別の級と考えた方が良いかもしれない。

 

戦艦香取級の活躍

 

1番艦香取

02_戦艦香取
(画像はwikipediaより転載)

 

 1番艦香取は、1906年5月に竣工、8月に日本に到着する。日露戦争により2隻の主力艦を失った日本海軍にとっては待望の新戦艦であった。竣工した時点で日露戦争は終結していたため戦闘参加はないが、艦隊旗艦を務め、度々御召艦として大正天皇や後の昭和天皇の行啓に活躍した。

 1914年、第一次世界大戦が始まると中部太平洋に進出、ドイツ領であったサイパン島を占領した。1916年には大改修が行われ、1921年には後の昭和天皇の渡欧に際し、御召艦として再びイギリスに戻った。1923年9月ワシントン軍縮条約により廃艦。

 

2番艦鹿島

03_戦艦鹿島
(画像はwikipediaより転載)

 

 2番艦鹿島は1906年5月竣工、香取と同様、戦闘での活躍はなく、しばしば御召艦として活躍する。1915年に大改修が行われ、1918年にはシベリア出兵に参加、上陸支援に従事した。1921年には1番艦香取と共に遣欧艦隊を編成、イギリスに戻る。1923年9月ワシントン軍縮条約により廃艦。主砲は陸上砲台へと転用された。

 

まとめ

 

 香取級は日露戦争後に竣工したため目立った戦歴はない。完成後わずか4ヶ月にして革命的戦艦ドレットノート級が完成してしまったため一気に陳腐化してしまった。しかし、日露戦争で主力艦を失った日本海軍にとっては待望の戦艦であり、廃艦までの約20年間日本の海の護りとして活躍した。

 

関連リンク

前級敷島級戦艦

 

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ポケット戦艦ドイッチュラント01
(画像はwikipediaより転載)

 

 このドイッチェラント級は通称「ポケット戦艦」と呼ばれているが制式には装甲艦、その後は重巡洋艦と類別されているので戦艦ではない。しかし戦艦並みの28cm砲と巡洋艦並みの速力を持った本級は連合国側から恐れられた。

 

ポケット戦艦 ドイッチュラント級 〜概要〜

 

性能

 通常排水量11700トン
 最大排水量 -トン
 全長 186m
 全幅 20.7m
 吃水 7.25m
 機関出力 5万5400馬力
 最大速力 26ノット
 航続距離 10000海里/20ノット
 乗員 619名
 武装 52口径28cm砲3連装2基
    15cm砲2連装8基
    8.8cm高角砲単装3基
    50cm4連装水上発射管2基
 装甲 舷側6cm
    甲板4cm
    主砲14cm
 同型艦 3隻

 

特徴

 巡洋艦より火力で優り、戦艦には速力で優っていた本級は誕生と同時に「ポケット戦艦」と呼ばれ注目を集めた。無論、「ポケット戦艦」というのは正式名称ではなく、正式名称は装甲艦、重巡洋艦である。本級はベルサイユ条約によって課せられた排水量10000トン以下、主砲28cm以下という制限枠内に収まるように開発された。主任務を通商破壊とし、最良の設計を行ったことが本級が傑作となった要因である。

 本級は長大な航続距離を出すために燃料消費の少ないディーゼル機関とし、最新型の28cm3連装砲を2基搭載した。さらに3番艦アドミラル・グラーフ・シュペー号には世界初の艦上レーダーが搭載された。船体は重量軽減のため90%を電気溶接で行ったのも本級の特徴である。

 

建造

 1番艦ドイッチェラントは1929年2月、2番艦アドミラル・シェーアは1931年6月、3番艦アドミラル・グラーフ・シュペーは1932年10月に起工された。就役は1番艦が1933年4月、2番艦が1934年11月、3番艦が1936年1月に就役している。

 

ポケット戦艦 ドイッチュラント級の活躍

 

1番艦ドイッチュラント(のちリュッツォウ)

ポケット戦艦ドイッチュラント
(画像はwikipediaより転載)

 

 1933年4月に就役した1番艦ドイッチェラントは、スペイン内戦時にスペイン沖に1936年から1939年の間7回にわたって派遣された。1937年5月、共和国政府軍の爆撃機の攻撃により31名が死亡する。第二次世界大戦開戦前の1939年8月、ドイッチェラントはドイツから出航、通商破壊実施のため大西洋に進出し、開戦後は通称破壊作戦に従事した。開戦後、ドイッチェラント(ドイツ語で「ドイツ」の意)は、失われた場合のマイナス要因を考慮し、ヒトラーの命により、名称を「リュッツォウ」に変更された。

 1940年4月にはヴェーザー演習作戦(ノルウェー侵攻作戦)に参加、ノルウェー軍の要塞からの砲撃により15cm砲弾3発を被弾した。ドイツ本土への帰還途中、イギリス潜水艦スピアフィッシュの雷撃により艦尾部を破損、その修理は1941年春までかかった。1941年6月、リュッツォウは再び雷撃を受け、キール軍港へ帰還した。その後も様々な作戦に参加したが、1945年4月にはイギリス軍の大型爆弾トールボーイの至近弾を受け港で着底、5月に放棄された。

 1946年には浮揚されソビエト海軍に編入されたのち、1947年7月標的艦として沈没した。

 

2番艦アドミラル・シェーア

ポケット戦艦アドミラル・シェーア
(画像はwikipediaより転載)

 

 2番艦アドミラル・シェーアは、1934年に就役、最初の任務はスペイン内戦への派遣であり、1936年から1938年6月末まで8回スペインに派遣されている。第二次世界大戦開戦後の1939年9月出撃前に爆撃を受けるが爆弾は不発であった。1940年の初頭にはオーバーホールと共に司令塔の改装を行った。この時に艦種を装甲艦から重巡洋艦に変更されている。

 アドミラル・シェーアは訓練の後、1940年10月以降、通商破壊戦に活躍する。1941年2月からはインド洋に進出通商破壊戦を行った。4月ドイツ本土へ帰還、整備の後、1941年9月にはバルト海に進出して各種作戦に従事、1942年8月には本土へ帰還、12月にはオーバーホールを受けた。その後は出撃する機会はほとんどなく訓練を続けた。

 1944年になると退却中のドイツ軍の支援等に従事、1945年4月にキールの造船所内でイギリス軍の空襲により撃沈された。

 

3番艦アドミラル・グラーフ・シュペー

ポケット戦艦アドミラル・グラーフ・シュペー
(画像はwikipediaより転載)

 

 1936年1月6日に就役し、数ヶ月に及ぶ完熟訓練を大西洋で行った後、1937年5月20日にジョージ6世戴冠記念観艦式に参加した。第二次世界大戦開戦に先立って、シュペーは大西洋に進出、開戦以後は通商破壊作戦に従事した。

 1939年12月重巡洋艦エクゼター、軽巡洋艦エイジャックス、軽巡洋艦アキリーズに捕捉され、ラプラタ沖海戦が勃発、大損害を受けたため中立国であるウルグアイのモンテビデオ港に艦を退避、のちに港外で自沈した。

 

ポケット戦艦 ドイッチュラント級(模型)

 

1/700 ドイツ海軍 ポケット戦艦 アドミラル グラーフ シュペー 1937年

 映画化もされたアドミラル・グラーフ・シュペー号の模型。シュペー号は1936年1月に就役、第二次世界大戦開戦後、イギリス艦隊に包囲され、乗組員を助けるために自沈してしまう。わずか3ヶ月の活躍であったが印象は強い。

 

まとめ

 

 ポケット戦艦という特殊な名称を与えられたドイッチェラント級は、第二次世界大戦前半には通商破壊戦に活躍するものの中盤以降は多くの地域でドイツが制空権を失ってしまったため目立った活動をすることが出来なかったが、明確な目的の下に無駄なく建造された傑作艦であった。

 

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次級シャルンホルスト級戦艦

 

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