不定期更新です。 更新は気分次第でーす(^_-)

(画像はwikipediaより転載)  陸上爆撃機銀河は、海軍唯一の陸上爆撃機である。その設計製作は日本最高の技術を誇った空技廠が行った。結果、当時の新鋭戦闘機よりも高速であり、新鋭爆撃機よりも長大な航続距離を持つという当時の水準をはるかに凌駕した超高性能機であっ …
続きを読む

 岡野博は大正10年生まれ、操練54期を修了した。日中戦争は経験していないが太平洋戦争開戦時には十分な訓練を受けての参加である。太平洋戦争を戦い抜いたのち、343空で終戦を迎えたという円熟の搭乗員であった。 日本海軍戦闘機隊のエースとは 概要 大正10年茨城県 …
続きを読む

(画像はwikipediaより転載)  哨戒機東海は昭和20年に制式採用された現在でいう対潜哨戒機である。最新鋭の磁気探知機と対潜爆弾を装備し、低速で長時間滞空することが可能であった。しかし登場があまりにも遅い上に記録が少なく、実際の活躍は不明な部分が多い。 目次 …
続きを読む

(画像はwikipediaより転載)  当初は、長大な航続距離を誇る陸上攻撃機の援護のために生まれた長距離戦闘機が月光の母体であったが、性能が海軍の要求を満たさず不採用となったが、二式陸偵として生まれ変わり、さらには夜間戦闘機月光として再び生まれ変わったという数奇 …
続きを読む

(画像はwikipediaより転載)  第一次世界大戦のトップエースは80機を撃墜した「レッドバロン」ことリヒトホーヘン男爵である。そのリヒトホーヘン男爵を目指し、東洋のリヒトホーヘンと言われたのが、海軍士官中最多の撃墜数を記録している男、笹井醇一中尉である。著名な …
続きを読む

(画像はwikipediaより転載)  赤松貞明中尉は、太平洋戦争で活躍した主要なエース達が10代後半から20代前半で開戦を迎えていたのに対して、31歳であり、彼らの教官クラスの搭乗員である。そして豪放磊落で多彩なエピソードを持っている海軍航空隊の中でも有名な男だった。 …
続きを読む

(画像はwikipediaより転載)  烈風は零戦の後継機であるが、開発に紆余曲折があり、試作機が7機のみ完成したに過ぎない。しかし最高速度627km/h、空戦性能も高く、操縦も比較的容易という当時の日本の航空機では卓越した高性能を発揮した機体であった。早期に実戦配備され …
続きを読む

 石井静夫は、福岡県出身で昭和16年4月〜昭和18年10月までと2年半の間、台南空、隼鷹戦闘機隊等で活躍、日中戦争で3機、太平洋戦争で26機撃墜した搭乗員である。操練50期だと大体初陣は太平洋戦争なのであるが、この石井静夫は中国戦線が初陣である。太平洋戦争開戦前までに …
続きを読む

(画像はwikipediaより転載)  紫雲は潜水艦隊旗艦用巡洋艦として建造された大淀に搭載するために製作された高速水偵で生産数はわずか15機のみであったが、二重反転プロペラを始めとする画期的な技術を採用した水偵で、当時の水上機では最高レベルの性能を持っていた機体で …
続きを読む

 石原進は甲飛3期出身で総撃墜数は16機とも30機ともいわれている。日中戦争、太平洋戦争に参加して戦後は航空自衛隊のパイロットとなったが事故により殉職した。 日本海軍戦闘機隊のエースとは 概要  大正10年愛知県生まれ。昭和13年10月甲飛3期生として予科練に入隊 …
続きを読む