不定期更新です。 更新は気分次第でーす(^_-)

目次<概要>11型21型32型22型52型/53型丙62/63型54型丙零式練戦11型/22型生産数  <概要>  昭和12年10月5日、三菱と中島に十二試艦上戦闘機計画要求書が交付。これに対して中島飛行機は辞退、三菱は昭和13年4月10日、海軍に「A6M1計画説明書」を提出した。昭和14年3月 …
続きを読む

 この大原亮治氏は丙飛4期出身。丙飛4期とは太平洋戦争開戦後に卒業したクラスだ。つまり卒業後、いきなり練度の高い米軍航空隊と戦わなければならないという非常に厳しい状況に置かれていた。ただ、この丙飛4期はまだ初戦期であったせいか後半に比べればまともな訓練を受け …
続きを読む

(画像はwikipediaより転載)  岩本徹三少尉は、太平洋戦争の海軍戦闘機搭乗員で最も有名であるといっていい。大言壮語型の人間で腕は超一流、日中戦争から太平洋戦争をほぼ第一線で戦い抜き終戦を迎えた。総撃墜数は216機と自称しているというが、実際は80機ともいう。撃墜 …
続きを読む

(画像はwikipediaより転載)  水上偵察機瑞雲は偵察機と区分されているものの、急降下爆撃もできる上にフロート付きの水上機としては驚異的は最高速度442km/hを発揮する当時の水上機の性能を凌駕した高性能機であった。太平洋戦争初期に活躍した九九式艦爆11型の最高速度が …
続きを読む

(画像はwikipediaより転載)  武藤金義少尉は、撃墜王の坂井三郎をして「日本海軍で最も強靭な戦闘機乗りだった」と言わしめた男である。横須賀航空隊にいた当時、F6Fヘルキャット12機編隊に単機で突入し、みんなの観ている前で4機を撃墜したという逸話を持つ。この光景を …
続きを読む

(画像は二式大艇 wikipediaより転載)  蒼空は名前が示す通り、海軍の輸送飛行艇である。昭和19年に計画され20年末に完成予定であったが、戦局の悪化と物資不足のために開発は中止された。森林資源に恵まれた日本の国情に合わせて全木製とする画期的な飛行艇であった。 …
続きを読む

 仲道渉飛曹長とは丙飛4期という戦中に不十分訓練しか受けられなかった世代の搭乗員で未熟な状態で激烈な航空戦が展開されているラバウルに送りこまれた。そして無事生還しただけでなく、20機もの撃墜を報告した稀有な搭乗員である。 日本海軍戦闘機隊のエースとは 略歴 …
続きを読む

1998年船の科学館にて撮影  二式大型飛行艇、通称二式大艇は太平洋戦争当時、世界最高性能の飛行艇であった。離水する時に発生するポーポイズ現象(水面をぴょんぴょん跳ねて水面に突っ込んでしまう現象)という問題はあったが、速度、航続距離などどれをとっても世界一の …
続きを読む

 撃墜72機といわれる謎の多い撃墜王である。私が現段階で調べた結果が以下のものだ。 日本海軍戦闘機隊のエースとは  生年月日不明である。大正9年前後生まれ。乙種予科練7期生なので、昭和11年6月予科練7期生として海軍に入隊したと推定される(但し、昭和10年とする …
続きを読む

(画像はwikipediaより転載)  日本海軍の潜水艦にはいろいろなものが搭載できる。これは前回ブログを書いていて気付いたことである。では日本軍の潜水艦には具体的にどのようなものが搭載された、若しくは搭載予定だったのだろうか。今回は趣向を変えて日本軍の潜水艦搭載 …
続きを読む