不定期更新です。 更新は気分次第でーす(^_-)

(画像はwikipediaより転載)  今日紹介するのはゴールドカップナショナルマッチ。この銃はコルト1911の競技用モデルだ。ナショナルマッチというM1911の高精度モデルは戦前からあったがこのゴールドカップは戦後の物。マッチ用にカスタムされたモデルだ。日本でもモデルガン …
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 撃墜19機のエースで活躍したのは半年足らずであった。乙飛9期出身であり、日中戦争は経験していない。太平洋戦争開戦時には弱冠20歳であった。 日本海軍戦闘機隊のエースとは 概要  大正11年愛媛県に生まれる。昭和16年10月乙9期飛練を卒業して、昭和17年2月台南空に …
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(画像は九六式陸攻 wikipediaより転載)  大攻とは、日本海軍の航空機種別で大型攻撃機の略である。一式陸攻等中型攻撃機とは主要目的は同じであるが、爆弾搭載量、航続距離に大きな違いがある。日本初の大型攻撃機、略して大攻は、昭和8年に完成した九五式陸攻で、全幅31 …
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(画像はwikipediaより転載)  中瀬正幸は大正7年生まれ、乙飛5期予科練を修了したのち戦闘機搭乗員となった。乙飛5期とは太平洋戦争で中堅、ベテランとして活躍するクラスであるが、中瀬が活躍したのは主に日中戦争である。総撃墜数は18機で敵飛行場に強行着陸をして指揮所 …
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(画像はwikipediaより転載)  流星は戦闘機、爆撃機、攻撃機の3機種の機能を全て兼ね備える万能機として設計された。戦争後期に生産され実戦にも参加したが、ほとんど活躍することなく終戦を迎えた。基本性能だけを見れば世界最高級の航空機であるが、エンジンの不調や各種 …
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(画像はwikipediaより転載)  岩本、坂井等、著名な撃墜王の先輩にあたるエースである。操練26期を修了した。昭和11年11月、空母加賀乗組。この当時の加賀はすでに単層甲板に改装されたあとだった。その後、日中戦争が勃発。太平洋戦争では各飛行隊を転戦したのち、343空に …
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 これはニューギニアの密林で10年間生活をした日本人の話だ。もちろんアウトドアやサバイバルが好きで自発的に行った訳ではない。ニューギニアに取り残されてしまった日本兵である。著者の島田氏は戦争後半に満洲からニューギニア戦線に派遣される。  そこで見たもの …
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 長野喜一は戦闘機搭乗員の操練最後の期である56期出身で総撃墜数は20機以上ともいわれる搭乗員である。開戦時にはまだ10代という非常に若いパイロットであったが、激烈なラバウル航空戦に参加、幾度も死線をくぐり抜けていった。戦争後期には台湾沖航空戦、比島航空戦に参 …
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閃電は単発双胴推進式という珍しい形の局地戦闘機として計画された。計算上の最高速度は759km/hとされており、仮に完成していたとすれば日本ではトップクラスの高速機であっただろう。設計は三菱によって行われていたが、戦局の悪化に伴って計画は中止された。 目次 < …
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(画像はwikipediaより転載)  荻谷信男は48期操縦練習生出身で生涯に撃墜した敵機は24機と言われている。当時、海軍航空隊内部でも坂井三郎や岩本徹三という名は知れ渡っていたという。しかし、逆に荻谷は当時ほとんど部内でも知られることがなかった搭乗員であったようだ …
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